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2017年9月14日 (木)

強弱で表現すること

ピアノの発表会から10日ほどが経ち、次のことに向かっているここらあたりで、ちょっとふりかえっておきましょう。

チェンバロでは、楽譜を見て「ここはおいしい箇所だ」と判断したらテンポを少し遅くして(ためて)華麗な装飾など入れたりもして協調するのですが、ピアノでは必ずしもそれが吉と出ないことが多いなあと思う今日この頃です。
ロマン派のたっぷりした曲なら、《ため》がベタすぎるくらいでちょうどいいこともあります。ショパンの短調のバラードなどなど。
ですが、私が今回のピアノ発表会に選んだ曲はクール・ビューティーの王様ともいえるラヴェル。
美しいメロディーだもの、たっぷり歌いたいわぁと思う心をぐっと抑えて、あえてメトロノームのようにテンポを保たないと、かえってごてごてとした悪趣味に陥る。ダサいともいう。
1曲をこんなにみっちり掘り下げたのは初めてですが、掘れば掘るほどに魅惑のラヴェルが私をとらえて離さない。よくセットで語られるドビュッシーの音楽は、割とストレートに甘いところは甘いのですが、ラヴェルはいつでもぶれずにツンデレなんだなーと最近思うようになりました。
甘いハーモニーをつけていても、メトロノーム的にツンツン演奏するのがはまるラヴェル・スタイル。
今回の曲で言うと、甘く歌いたい箇所でも、振り向きもせずハイヒールで颯爽と通り過ぎ、ラストにラヴェル本人の筆で「ここからテンポを落とせ」と指示が出てくるまでは厳格なまでにテンポは揺らさない。それでラストの気だるい余韻が生きるのよねー。

あと、テンポを揺らすと簡単に劇的になるのでついつい安直にやってしまいがちですが、テンポそのままで音量の上げ下げでドラマチックさを演出する方がベタさ・ダサさが抑えられることがわかってきました。
他の人はどうかわかりませんが、私の場合はテンポを揺らして「ほらここ歌ってますよ~」と表現する方がラクで、かなり意識しないと劇的なまでに強弱を使い分けることはできませんでした。
メトロノームを本当に鳴らしながら、強弱だけでデレを表現する練習をレッスンでしてみたところ、私にはフォルテの総量が少なすぎることが発覚!楽譜にmfと書いてあったらあまり強くしちゃいけないな、ととらわれすぎる傾向にあったわけです。
強弱なんて相対的なものなんだから、曲想によってはmfの指示があってもfとかffを出しても良いし、その前の部分の強さで調節すればいいんだ…目からうろこがバッサバサ。
例えば、サビの部分がpから始まって最高潮に盛り上がったところにfと書いてあったとする。その場合のpからfまでの幅が狭いと指摘されました。もっと幅広く!
だから、fは私が想定しているより強いものだったんですねえ…自分では強弱をつけているつもりでも、客観的にはあまり差が感じられないそうです。そう言われてそこに注目して聴きながら弾くと、確かにその通り。
たぶんほら、子供心にご近所に遠慮もあってこんなもんでいいかなというのでしみついてしまったのかもしれぬ…。

そういえば。上級者の練習を聴いて、その激しさに「あそこまで到達するのは無理っぽい」と思った10代の記憶がよみがえりました。
あの頃、指が速く動くとか、長距離の跳躍を外さない正確さとかよりも、強弱のダイナミックレンジに圧倒された率が高かったんですわ。指を速く動かすのは練習次第でなんとかなりそうというか、習い続けていれば誰でも自動的にあのくらいできるようになるんでしょう?と、たいして気にとめていなかったっけなあ。
当時から、指のテクニックではない表現力が自分にはないと感じていたのかもしれないなあ。

やたら音が大きく響くスタインウェイのピアノで本番を弾いて「おおう!」となりながらいろいろと勉強になったので、次に活かしたいところです。
強弱問題はピアノならではの課題の一つですな。
さて、チェンバロもがんばろう。

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