2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

雑記

2018年9月 2日 (日)

近況

年頭にちょっと書いてから更新をおさぼりしておりました。
8ヶ月間のあらすじなど。

◆合宿(2月)
ヴァイオリン教室の恒例行事。2泊3日で練習三昧です。
バロック1曲と、バロック直後のモーツァルトっぽい曲に、通奏低音もどきで参加しました。
昨年は大人ばかりでしたが、今年は小学生3人が加わり、なんだか初心を思い出したりして新鮮な気分に。
最終日、子供らは「帰りたくない」とちょっとしょんぼりしていてかわいかった。これ以降、教室の行事にこの3人はよく参加するようになりました。お友達に会いたいらしい。

◆ブラームスに四苦八苦
直近の投稿で一人盛り上がっていたブラームスですが、地味に弾きにくい物件でして、自分基準ですら完成形にもっていくことができないまま、とりあえずひと区切りとしました。
ゴールが見えないのにいつまでズルズルやっていてもしかたないので。
この人の書法に慣れていないんですよね。いい曲、弾きたい曲はまだまだありますから、絶対にまた戻ってきますぜ。

◆古楽合奏
6~7人のヴァイオリン&ヴィオラと私という編成で、とるものもとりあえずという感じで練習スタートしました。
お一人、ヴァイオリンとチェロを掛け持ちでやっておられるのですが、春が終わる頃にしばらく離脱することになり、低音は今のところ私一人です。
楽器歴は初心者からベテランまでと幅広いですが大人ばかりなので頭脳はばっちりです。先生にヒントをバシバシいただきながら、平等に皆で意見を出し合って考えながらフレーズを作っていくので楽しいですよ。
そのうち、古楽だけの発表会を、本格的なチェンバロのある会場でやろうと盛り上がっております(練習はモダン・スピネットでやっているので音量も音色もだいぶ違う)。

◆発表会
ドビュッシー没後100年にちなんだ選曲で臨みました。
独奏は迷いに迷った末、ちょっとがんばって「沈める寺」。のんびり構えていたらあっという間に月日が経ってしまい、「とりあえず弾けない部分はなくなった」というのがギリギリだった。なので、余裕がなくていっぱい間違えたよ。でも、この曲が弾けたというだけでかなり嬉しいことだったので、まあいいかな。4~5年前、あまりに指が退化していたので、この曲は私には一生無理かもなあと思っていたのです。それを思えば結構もちなおしたじゃん。
本番の一週間後になんの気なしに家で弾いてみたら、さらっと成功してしまったので、「今かよ」と笑ってしまった。
レパートリーにしたいので、まだ練習を続けています。来年の春に、プチ発表会があるので(演奏する人しか参加できない=お客さんなし)またこれを弾いてやろうと思います。
それともう1曲、チェロの先生と二重奏も。ドビュッシーのたくさんある歌曲を器楽に編曲した中でたぶん最も人気のある「美しき夕べ」にしました。こちらは、技術的には特にどうということはないので、アンサンブル能力だけが課題。というわけで、楽しく練習して楽しく気持ちよく演奏できました。
こういった発表会や、お客さんを招かない演奏者だけのミニ発表会には、できる限り参加しておりますが、以前は必ず手が震えていました。途中で落ちつく場合もなくはないですが、1曲のほぼ最初から最後まで震えていて、おじぎしてからもしばらくブルブルしていたものです。今回は、あがってはいたけれど、手は震えなかったんですよ!びっくり!手さえ震えなければ、あがっていてもある程度コントロールが効くので、大事故にならなくて済みました。たくさん間違えたけれど、これは大きな一歩です!まあ、たまたま今回だけかもしれないが…次もそうだったら本物だな。

◆連弾
アンサンブルというと、他の楽器の演奏者と一緒にやることだと思っていましたが、1台のピアノを2人で演奏するのもアンサンブルのうちだそうです。なるほどそうか。
ヴァイオリンやフルートなどの奏者を探さずとも、ピアノの人にしてみれば先生と生徒だけでとりあえずできるので、実は最も身近なアンサンブルということになるんですね。
オーケストラ曲や、一人で演奏するにはあまりにも難しいピアノ曲などをピアノ2人に振り分けた編曲はたくさんあります。しかし、演奏し甲斐はあるだろうけれど、聴いて魅力があるかというと原曲の方がやっぱりいいわけですよ。もちろん最初から連弾用に作曲された作品も多いですが、弾きたいと思うものは(私の腕でなんとかなる範囲では)今のところありません。
が、最近出版された作品がなかなか好みでして(日本人作曲家)、ちょうど先生もその楽譜をレッスンにとりいれようと考えていたとおっしゃるので、「やりましょう!」。
発表会で先生との連弾も将来はあるかもです。

初夏あたりから、他の練習はお休みして発表会のピアノ曲だけに特化してきましたが、これからは通常練習に戻ります。
ピアノの基礎っぽい練習や、難しすぎない曲を用いた音楽的な演奏のためのレッスン、それからチェンバロももちろん。
空が秋らしくなってきた今日この頃、芸術にいそしみましょう。

2018年1月11日 (木)

2017年ふりかえり

正月休みもその次の3連休も過ぎ、すっかり平常運転になってしまいましたが、本年もよろしくお願いいたします。
昨年の年頭には、音楽の範囲限定での「2016年のトピック」を列挙しました。
楽器の上達に関しては脇に置いて、劇的な発見が多かった1年でした。
一言で表すなら、新しい世界が開けたというのがぴったりです。
2017年もふりかえってみるかな。

◆弦楽合奏の合宿に初参加。たくさんの楽器と合わせる第一歩。

◆40年ぶりにピアノの発表会を体験。
能力ギリギリの曲を選び、技術的・精神的・情緒的に今現在の自分の力を客観的に把握できた。
再開して5年目に入り、ようやくピアノと手がお友達になったと感じられたのもこのあたり。

◆メシアンの『幼子イエスにそそぐ20のまなざし』全曲演奏会が東京で1年に2回もあった。この中から2~3曲だけでもプログラムに入れるピアニストは少なく、全曲ともなるととても珍しいのである(2時間以上かかる)。
そんな貴重なものを2公演とも聴くことができ、僥倖だった。
音楽で哲学するというのは若い頃には他人事だったが、この曲では「そういうことか」と納得する。年をとるといいこともある。

◆94歳の誕生日目前のピアニストのコンサートを聴き、人間が音楽を演奏する意味について思いめぐらすこととなった。
聴いている間はその音楽と音色の美しさを味わっていたけれど、あとからいろいろと考えがわいてきて余韻が長いどころではなかった。
それにしても丁寧な音色づくりには感服したし、そのピアニストの「何歳になっても理想の音楽をあきらめてはいけません」との発言を読んで、あきらめないことなら私にもできるなあ…と思ったのだった。練習をしていて、音は合っているのに何か納得がいかない場合、あきらめずに模索を続けよう。

◆ルネサンス音楽を愛しすぎているリュート奏者とリコーダー奏者による、ポリフォニー音楽白熱教室を聞いた。
ドイツで研究&演奏活動をしている日本人たちで、二人ともしゃべることしゃべること、これが死ぬほどおもしろくて、いやそれどころではなく、死者も思わず生き返るくらいおもしろくて、ますますルネサンス音楽の沼にはまったのであった。
演奏もたっぷりあったので満足度高し。昨年のコンサートのベスト3に入る。うーん、1位でもいいかもしれない…

こうしてまとめてみると、前年ほどの劇的変化はなかったものの、聴く方での収穫が多かったので、インプットの年だったのだなと思います。

2017年12月12日 (火)

ブラームスの印象

さてそのブラームスですが、ロマン派の中で誰にする?ということでそれにしたんですけど、改めて調べてみるとおぼろげだった印象がだいぶ変わってきました。
生きた年代はロマン派の後期ですが、曲(特に管弦楽曲)は古典派に近いものだったんですね。
ベートーヴェンへの尊敬の念が強すぎて、ベト風から脱する気がなかったという。
ただ、ほっといたら古典派っぽい音楽は廃れて埋もれてしまったかもしれない(バッハはそれで一度忘れ去られましたからね)。ベト風の、小編成でがっちりした構成の交響曲を継承し、同時代の仲間たちが交響曲を発展形にもっていくきっかけを作ったんだって。チャイコとかマーラーとかが、編成を厚くし、形式よりもストーリーを重視した交響曲を生み出したのもブラームスのおかげだったりして?
ピアノでちゃんと習ったのはハイドンベトモツまでという私には、ロマン派の入り口にそんなブラームスを持ってきたのはよかったのかしら。

でもそんなブラームスでもピアノ曲には結構ロマン派の香りがするよ。
そもそもピアノ曲のイメージのない人で、ブラームスといえば交響曲とハンガリー舞曲とヴァイオリン協奏曲、ピアノはかろうじてワルツ(Eテレ2355)、あとは何があるの?と思っていました。
ここ数年で、「交響曲は意外と4曲しか書いていない」「室内楽曲は割と多い」「歌曲はとても多い」「ピアノ曲は若い頃と死ぬ前に集中して作曲し、数は少ない」ということを知りましたが、ピアノ曲に限らず全体的に多作ではないということもなんだか意外。
超マジメで完璧主義者、推敲に年月がかかったらしいです。
ピアノ曲から作曲を始めましたが、たいした曲数を作らないうちに交響曲などの大作に向かっていき、ピアノへの興味を失ったかのような時期が長かった。亡くなる4年前に身辺整理などしてから「やっぱピアノ曲を書いときたくなったわ」とばかりに短い曲を20曲(と声楽曲を少し)続けて作ったそうです。
そんな事情を反映し、最後の20のピアノ曲には地味・暗い・ゆっくりの曲が多いです。速い曲でもほの暗い。遺書みたいな曲と位置付けられていますし、死にゆく自分への子守唄だと自分でも言っていたそうです。でも美しいんですよ。
私は50歳を過ぎてから初めて聴いたので、しみじみいい曲だなと第一印象から良かったんですけど、もし若い頃に聴いていたら「暗い!遅い!いらん!」と切り捨てていたでしょう。
聴けば聴くほどしみるスルメ曲たちです。

2017年9月 4日 (月)

幼少時のレッスンの記憶

発表会後の懇親会で、大人のヴァイオリンの生徒さんたちの中に子供の頃ピアノを習ったことがある人が結構いらっしゃることがわかったのですが、全員が「早々にリタイアしてしまった。退屈できつい課題をビシビシやらせる先生だったから」という衝撃的な告白。いや、よく聞くパターンだったか…。
楽譜がさらっと読める状態にも至らずに、この教室に入ってから音楽好きになっていったのでした。

退屈で子供にはつらい教材でも避けては通れない道だとは思うのですが、鬼のようにしごかなくても、やらせ方はいろいろあるでしょうね。
別にうまくならなくてもいいもん!という気持ちが巣食ってしまったら終わりでしょう。
私はのほほんとした子供だったので練習に負の感情を抱きにくく、どんな教材でもなんの疑問も感想も抱かずに、毎日決めた時間だけきっちり機械的に練習して「今日のノルマ終了~♪やったぜ(達成感!)」という感じでした。
練習は好きでも嫌いでもなかったというのが正直なところです。
少なくとも「嫌いではなかった」から続いたのだなあと感慨深いですが、最初の先生がスパルタ指導タイプではなかったのが大きかったと今になって気づきました。当時は比較の対象がなかったのでどんな先生かと問われても「こわい先生ではない」くらいしか言いようがありませんでしたが、今ふりかえると「カリキュラムはしっかり/指導は優しく」だったと思います。
今の先生につくときに、教室主宰のヴァイオリンの先生と3人で面談をしまして、どんなレッスンを受けてきたかを説明したところ、「小さい子にも手を抜かずにフルコースのメニューで教えておられたんですねえ」と称賛されました(私が賞賛されたわけではないが、なんだか嬉しい)。
なんとなく好きな曲を楽しく弾けるようになったらいいなという感じで子供に習わせる親は多いと思うのだけど(特に親に楽器経験がない場合)、そういうことなら教材はそんなにいろいろいらないんですよね。ただそれだと応用がきかなくなるので、早いうちに基礎は叩き込んだほうが後々ラク…。叩き込むという語感が幼児いじめみたいでアレなのかな。そこは先生の腕ですよね。
昨今は、教材を作る作曲家の先生がたも現代の感覚で工夫をこらした良い教材を生み出していて、今の子供たちがうらやましいです。

あの頃があって今があるということをつくづく感じた一日だったというお話でした。
子供の頃にピアノに挫折した皆さんはもうピアノに戻る気はないそうですが(ヴァイオリンに打ち込んでいるからいいんだよね)、ピアノ未経験の方は「やってみたい気持ちはすごくあるが両方できるか迷っている」とおっしゃるので、ピアノ科の先生生徒で強力プッシュしまくりました。
今からだったらトラウマになるようなレッスンはないですし、きっと楽しいですよ~。

2017年9月 2日 (土)

一人ではできないこと

私が通っているヴァイオリン教室の特徴の最たるものは、小さな子にもアンサンブルの経験を積ませるということだと思います。
子供同士でのカルテットだけではなく、大人数の合奏では大人も子供も一緒になります。大人の隣に小1が座ったり、初心者の大人の隣にバリバリ弾ける子供が座ったり。
縦のヒエラルキーなどなく、皆で一つの音楽を聴き合って作り上げるところが素晴らしい。

先日、TVで高校の吹奏楽部が演奏しているところを見ていて、自然と自分の高校の吹奏楽部を思い出したのですが、部ができた経緯まで記憶がよみがえってきたところでちょっと感動してしまいました。
私が入学したとき、部ができて3年目かそこらだったんです。
各パート最低限の人数が揃ったのが私の入学した前年だったらしい。中学でやっていた人はちらほらで、初心者が多いという、ドカベンの最初の頃みたいな感じですな。
練習の合間に、部を作った先輩の話をぼちぼち聞きましたが、その時は先輩のおかげで楽しい部活に出会えたという感謝の念はわいたけれど、その先輩がたの思いは想像できませんでした。
吹奏楽を初めてやってみた感想は、「一人で吹いてもまったくおもしろくない!」「その分、全体練習で皆の音が合わさったときの肌が粟立つ感動は、想像をはるかに超えた!」がセットでした。でも自分の基本的な感覚は「ピアノ1台でたいていのことはできちゃうので不便はない」というものだったので、ハーモニーを奏でたい管楽器奏者の気持ちに思い至ることはなかったのです。
ですが、今、アンサンブルに参加してみて、旋律楽器ならではの「一人ではできないことを皆と一緒にする」発想がなんとなくわかった気がしています。

部ができたきっかけは、一人のフルート少女だったのだそうです。
入学した高校に吹奏楽部がなく(オーケストラ部は尚更ない)、同じように合奏をしたい仲間を見つけて3人だか4人だかで先生に談判したんですって。
今はこれしかいないけれど、部さえ作っておけば入部する子がでてくるでしょうし、当面はフルート二重奏とか木管アンサンブルとかを練習していればいいからと。
上手な子たちなので工夫していろいろやっていたそうです。
でも3年かそこらでコンクール出場できるまでに部員が増え、演奏もなんとなく形になるとは、設立メンバーのどなたも思わなかったのではないか。顧問の先生もちょっと驚いていたようでした。
当時は、あの先輩がたは(顔も知らないが)きっとここに入って大人数で演奏したかっただろうなあと思っていましたが、今考えると、数人で好きな曲を仲間と楽しく演奏しただけでもかなり楽しい青春だったのじゃないかな…。

数年前に、もしもヴァイオリンが弾けたとしたら、やっぱりオケに入るか、最低限もう一人いないと無伴奏曲はとっても少ないからなあと思い至りました。
人生で最初に手にする楽器が、複数で演奏する前提の楽器だったら、思考回路も違ってくるはずだな、とも。
さらに一歩踏み出してヴァイオリンを習う人々の中に入ってからは、少しは他人事ではなく考えられるようになったと思います。
それはそうと、そもそも一人でも完結するピアノをアンサンブル楽器でもあるととらえるきっかけになったのは、やはりチェンバロでの通奏低音の存在でした。
チェンバロを習っていなかったら、自分が弦楽器と一緒にピアノを弾くなど一生涯思いつかなかったはずです。

ヴァイオリンの先生は「オケもカルテットもできる万能楽器♪生まれ変わってもヴァイオリンをやる!」とおっしゃっていましたが、鍵盤弾きは鍵盤楽器が万能だと思っていますからおもしろいものです。
ここに歌手が加わったら「声こそ万能!」と宣言することでしょう。
万能な楽器は自分がやっている楽器であるという点だけが正解ですよね。
まあ、「ピアノではこういうことができないが、弦楽器はそれが得意でいいなあ」みたいな得手不得手はどの楽器にもお互いにあるので、実は万能ではないとわかっているんですけれども。
補い合って仲良くやるのは美しき哉。

2017年1月 1日 (日)

ゆく年くる年

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

去年は1年が長く感じられました。
ここ30年近く、こんな感覚にはご無沙汰でした。
原因はたぶんピアノです。去年の年明けから新しい先生に習い始めて、毎週が発見と驚きにあふれる事態となり、まるで小学低学年のような感覚でそれらに接したことが大きく作用しています。
少々のことでは新鮮に感じなくなってしまった大人生活においては、こないだ生まれたと思った知人の子供がもう中学生だと耳にしたときなどに、自分は何も変わっていない・特筆するようなできごともなかったことに愕然とするのですよね。自分だけがタイムリープしてきてしまったような…。
レッスンのないウィークデイは一瞬で過ぎてしまうのですが(だから仕事面ではあっという間の1年でした)、ピアノのおかげでいろいろなことがあったような気のした1年でした。
曜日の決まったピアノのレッスン日と、『真田丸』の放送日を楽しみに、その点だけは規則正しく刻んでいった1年でもありました。

チェンバロの方も、よく知らなかった作曲家との出会いや、これまでに自分の中になかった概念との出会いなど、新しいことがたくさんありました。
その結果、これからやりたいことがしっかり具体的にかたまった年となりました。
基礎固めがメインのピアノと対象的に、こちらは少々無理めなことに向かっているので、実践目標を小刻みに設定して少しずつ前進するのがいいでしょう。
チェンバロが家にないので練習がままならないというのはいい加減どうにかしたい課題です。どうしたもんでしょうねえ。

2016年のトピック
◆バロック音楽の中でも一番古い時代の曲を弾いてみて、とても気に入った。聴く方でもそのあたりを集中的に聴いてみて、これぞ求めていたものだと確信。
◆通奏低音に初挑戦。
◆ピアノで室内楽にも初挑戦。
◆ピアノ奏法の根本的見直しで目からウロコ落ちまくり。美しいピアノタッチがわかってきた(ようやく端緒についたところ)。
◆声楽のコンサートによく行くようになった。
◆ブラームスのピアノ曲の良さが少しわかった。後期の小品は弾いてみたいとさえ。
 (注)ブラームスはピアノ曲に関してはどうもピンとこなくて(名曲なのはわかるがぐっとくるポイントが皆無で)、こんな日が来るとは思ってもみませんでした。

どれも、2016年が明けた段階ではまったく予想だにしなかったことばかりなので、今年も「今年の目標・希望」などうっすら想定している上をゆく展開になったらおもしろいなあと思っています。去年習っていたことの続きをやっていくのだろうなとしか思い浮かばないし。
なんたって音楽の専門教育を受けていない私の思いつくことなどたかが知れているわけです。ですが、こんなことに興味がわいたなどとちょこっと口にすると、先生がたがあっと驚くものを提示してくださるんですよね。
どの先生も、ご自分の信じる音楽を好きと言ってついてくる生徒に対してついつい面倒見が良くなってしまうようです。ありがたいことです。

2016年12月 6日 (火)

室内楽のキャラクター

室内楽にもいろいろな性格のものがあるという話の続きです。

2年ほど前のこと。ベートーヴェンの弦楽四重奏の全曲BOXを買おうと思い立ったのですが、予想外にたくさんの四重奏団がヒットして驚いてしまったのですよ。
弦楽に疎いものですから単純に「ベートーヴェン 弦楽四重奏」とだけ入力したものの、どのような演奏者が出てくるかまったく考えてもいませんでした。
よく知られたヴァイオリンやチェロのソリストの名があがってくるものと無意識に思っていた気がします。ヴァイオリン協奏曲などのように。
そのような演奏家も弦楽四重奏を録音することはあるのかもしれませんが、CDが出ているのはほとんどと言っていいくらいがメンバー固定の四重奏団なのです!
こうしてみると世界に(もちろん日本国内にも)弦楽四重奏団はたくさんあるのだなあ。それだけ、じっくり演奏を探求するに値する名曲が多いジャンルということなのか…。
ピアニストにとっての新約聖書がベートーヴェンのピアノソナタであるように、弦楽奏者にとってもベートーヴェンの弦楽四重奏は最も重要な曲たちなのだろうと思いました。
弦楽四重奏曲という編成の曲数は、ロマン派になるとそんなに多いとも言えなくなってきて近代にはだいぶ少なくなってしまったけれど、一人の作曲家が1曲ずつ作ったとしても結構集まるんじゃない?量産しなくてもその1曲が素晴らしい曲ならいいではないか。

一方、ピアノ三重奏曲の方は、ピアノ・ヴァイオリン・チェロの有名なソリストが「やろうぜ」と集まってパッとやって帰っていくパターンが主流で、それぞれの流儀を一期一会的に合わせるおもしろさのあるジャンルであることがわかってきました。
弦楽四重奏団がいつも同じメンバーで意思疎通を図っていっているのと対照的です。
固定メンバーのピアノ三重奏団もあることはあるけれど、とても少ない。まず曲が少ないしなあ。それメインで活動しているわけではないのだろうな。

さてさて、ビッグネームばかりが集まったピアノ三重奏は、それはおもしろい聴きものです。
このくらいのレベルになると個性の張り合いでアンサンブルが破綻するなんてこともなく、一歩下がるべきところでちゃんとおとなしくしているのが微笑ましかったり、ずっと前に出ていなくていいせいかリラックスしているように聞こえたり、プライベートな感じの漂う演奏に思えるのです。
モノラル時代の巨匠ほど、協奏曲や独奏曲のときとのギャップがかわいい(笑)。特にピアニスト。

それと、ヴァイオリン・ソナタもヴァイオリンとピアノの二重奏で室内楽的ではあるのだけど、一人少ないだけで結構緊張感をはらむんですよね。
良い緊張感なら吉と出るので構わないけれど(プロなら良い緊張感に決まっているし)、強烈な個性の人かとか、年齢差のあるなしとかで空気の違いがはっきり出てくるのが二重奏。
三重奏なら緩衝材になる人がいて(誰か一人決まった人というわけではなく、曲の部分部分によってチェンジしていく)絶妙にバランスがとれているのがこれまたすごい。

こんな感じで、そもそも好きだった曲はますます好きになり、特に好きでも嫌いでもなかった曲もニヤニヤと楽しめるようになりました。
人間が演奏しているんだもんね。いろいろ想像するとおもしろいですよね。

2016年10月 7日 (金)

年齢と発達と譜読み

ピアノを弾くということに関して、長年のブランクによって運動能力的な側面では著しい後退をしていたのに対し、楽譜を読むことについてはまったく損なわれていなかった不思議。
2年前くらいにも一度書きましたが、ずっと気にとめてきた事項です。
10年以上のブランクを経てピアノを再開した人の多くが、楽譜が読めなくなってしまっていることに愕然とするらしいのですが、ブランク前の経験年数が短かったのならともかく(バイエルで挫折など)、私と同じくらいの年月を習ってきても読めなくなるケースがあるのはなぜなんだろう。
読譜のやりかたが身についた年齢が遅い(7~8歳)と、長く習ってきても抜けてしまうのかも。などと仮説をたてたけれど、広く調査しないと実際のところはわからないのでもやもや…。

音楽に限らず、生活に関する動作でも年齢によって「今これを訓練すると伸びる・今はこれをやっても効果がない」というのがあるけれど、ピアノについて詳しく知りたいと思い、音楽教育がご専門のかたの著書を読んでみました。
その本のあとがきに書いてあった「やめてしまってもいいから、子供のうちにピアノを習ってほしい」の一文にブンブンと首を縦にふっております。
やめてから二度と楽器演奏に気持ちが向かないまま一生を終えるかもしれませんが、何かしらの楽器に興味を持ったときに、一から音符あれこれを覚えなくてすむのは本当にラッキーとしかいいようがありません。
幼いうちにすませておけば、本人はどうやって勉強したか忘れてしまうくらいに「いつのまにか」インプットされてしまうのですもの。
成長してしまってからではラクにインプットはできないので、続けるかどうかわからなくてもとにかくやっとけばお得。

あとがきの話から書いてしまいましたが、長いブランクで読譜力が抜けるか抜けないかの違いについて、納得のいく記述がありました。
この先生の見解では、10歳から13歳の時期にどれだけたくさんの曲の譜読みをしたかで、読譜力の定着に差がでてくるそうです。
私がその年齢のときに習っていた先生は、4曲同時進行でどんどん課題曲を与えていっていました。1曲終わると(合格すると)「次はこの曲をレッスンします。来週までに弾けるようにしてきてください」となり、自分で譜読みして持って行きます。参考にするプロの演奏はなく(練習曲はもちろんだけど、ベトモツのソナタを弾くようになってもいちいちレコードを買って参考として聴く発想はなかった。好きな曲なら鑑賞用として買ったけれど)、楽譜だけが頼りということが当然だと思っていました。
うーむ、これか…一番効果のある年頃で一番いいことをしていたんだな。先生ありがとう!
音大に進むような子はさらにたくさん、幅広い時代の楽譜を読みまくっては弾きまくるんだろうね。
中学時代にもっと意識を持って特訓していれば腕前の方もあがっていただろうにもったいないことをしたが、過ぎたことで欲張っても意味がない。得たもので満足し、次につなげよう。

2016年9月20日 (火)

妄想の楽器部屋

ピアノの先生が、増え続ける楽譜に浸食される部屋のありさまについて憂慮した勢いで夢の家を妄想している様子が楽しそうだったので、私も妄想してみた。
ちなみに先生の妄想では、30畳相当の楽器部屋、10畳ほどの仕事部屋(大型机と本棚)、小さな寝室(文字通り寝るだけの場所)に風呂トイレ台所。
広い楽器部屋に置く楽器のラインナップが、グランドピアノ2台・アップライトピアノ1台・大型ハープ(憧れだそうです)・スピネット(これはすでにお持ちです)となっていました。
レッスンをすることを想定しているからグランド2台なのかな。なるほどピアノのプロだとこうなるのね!と目からうろこが落ちると当時に、自分がいつのまにかピアノの人ではなくなっていることに気付いてちょっとびっくりしました。
私の妄想では、ピアノは今持っているアップライトだけでいいもの。そして、フレミッシュの2段チェンバロ、初期イタリアンのチェンバロ、ヴァージナルを各1台。楽器博物館か。
24時間空調完備しなくちゃですなー。もちろん防音も。タダだから妄想ならなんでも言えるわ。
そういえば管楽器はどうしようかな、とちょっと思ったけど、もう完全に過去の人って感じで再びつきあう気はないみたいですよ。いい奴なんだけどね。

2016年3月11日 (金)

柔軟性と筋力

スポーツ嫌いの私は高校を卒業する頃から徐々に体が硬くなっていき、母が高齢になるまで柔軟だったのに対し、20代なかばで母にバカにされるほどでした。
日常生活でもなるべく動かないようにしているので(笑)どれほど硬くなってしまったのか自覚のないまま中年期へ。
今ピアノレッスンで取り組んでいる肉体改造(!)で、余計な力を抜くことに付随して関節の柔軟さが重要な要素であることを実感してきています。
肩の可動域が狭い(背中で右手と左手が指先さえもかすらない。握手どころではない)くらいなら直接的には演奏に影響してこない気はしますが、よく動くにこしたことはなかろう。
しかし、手首が意外に硬いことを知ってしまい愕然としています。
ほらほら、小学生の頃、ジャンケンをする前に両腕をひねって組んですきまからのぞいて見たりしたでしょう?あれで相手が何を出すか予見できるみたいなナゾの儀式。
スルッとできていた記憶があるので、何も考えずにいきなり勢いよくその動きを再現しようとしたら、手首がゴキッ!と音を立ててしまったのです。
それにちゃんとその形が作れなかった…硬くて。
気を取り直してゆっくりやり直してみたけれど結局できませんでした。
特に右手がカッチカチです。
前屈ができないのなんか気にしませんが、これはまずいと青くなりました。
無理にやると故障しそうなくらい可動域が狭いので、長年かけてほぐしていこうと思っています。
手首を柔軟に使う奏法を習ってこなかったのでこれから教わるぞーと思っていたけれど、その前にここからか…やっぱり10代のうちに習っておくんだったわ。

柔軟性の話の他にもスポーツのような事柄はあります。
筋肉を鍛えるということです。
指には筋肉はなく(腱はある)、手のひらの少し厚い部分が筋肉だそうです(医学的には腱も筋肉に含むそうですが、いわゆる「筋力を鍛える」という場合の筋肉は指にはないという)。
親指は強い力を持つ指ですし、物をつかむなどで日々鍛えられているので大人の場合はそこが弱いということはほとんどないでしょう。
問題は小指です。
自分ではまあまあ独立性はできていると思っていたのですが、効率よく動けるような基本姿勢が小指はとれていないことがわかってきました。
難しい曲になると苦戦するのには理由は一つではないだろうなと思いながら今の先生に習い始めたのですが、小指の力不足もその一つだということが心底納得できました。
手のひらの小指側の筋肉が弱いのよね。まあ普通は使わないもんねぇ。
ここの強化運動は机の上でもどこでもできるので、毎日ふとしたときにやっています。
そこを使うんだよと意識することだけでも神経がつながるような気がするなあ。

そういえば、一番最初に習った腕の脱力についても、気がついたらときどき自然にちゃんとできていることがあって、いつのまにかだなーと驚いているので、こういうことも一つ一つやっていけば、そのうちきっといいことがあるに違いありません。

より以前の記事一覧