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楽器

2016年9月18日 (日)

欲しいチェンバロは?

チェンバロが家にも欲しい→いや別になくても→やっぱり欲しい→しかし場所が→寄せればなんとかなるだろ→しかし値段が→あの世にお金は持って行けないぞ→受注生産だからどんなのを注文するかしっかり決まっていないと→そうだけど→以下ループ。こんなことを頭の中でかきまぜては、結論が出んわ!とキーッとなったりして4年近くが経とうとしておる。
でも習い始めの頃に早まって買わなくて良かったですよ。少しずつ古楽知識が増えるごとに、自分にはどんなチェンバロがいいのかの基準が揺らぎまくっていますから。
知識ゼロの当初は、どうせアマチュアなのだから練習用と割り切って、バッハを弾くのに足りる音域のある小型スピネット(横長で場所をとらないミニサイズのチェンバロと思っていただければ)で手を打ってもいいかも、と心を決めかけていました。値段もチェンバロに比べればはるかに現実的ですし。
今もこの選択肢は消えてはいません。が、チェンバロの夢も捨て難く、思い切る決心もつかず…。
チェンバロにするならするで、フレンチにするかフレミッシュがやはりいいのか、しかし私はフレンチって柄じゃないぞ。バッハを敬愛している身としてはジャーマンでいくべきか。一番よく見かけるタイプである(=弾く機会が多い)フレミッシュにしておくべきなのか。一番発達しきった頃の様式にしておけば、とりあえずどんな曲にも対応できるから無難かなーとは思いますが、自分で決めるには材料がなさすぎて宙に浮いてしまっています。
初期イタリアンのチェンバロは、低音が太くかっこよく鳴るのと、全体的にハキハキとした響きなので、それに合う曲をレパートリーの中心とするならば適しています。でもプロじゃないんだから、やっぱり汎用性の高いタイプにしておいた方がいい気もする。すごくする。で、決められない。
最新のマイブームはルネサンス期のイングランド曲なので、もういっそヴァージナル(チェンバロの先祖で小型です)でいいんじゃないの?とヤケクソ気味につぶやいたりして。
一番いいのは、フレミッシュの1段にしておいて、調節でヴァージナルに似た音色が出せるように作ってもらうことだな。
2段チェンバロを使いこなせるようになりたいので2段が欲しいのはやまやまなのですが、値段的に現実的でないのと、調律の手間も2倍になるのできっと手に負えないのとで、2段づかいの練習はスタジオで借りてするということで、この点に関しては納得しています。
まあ、この先もいろんな曲を勉強していくうちにどんどん「こんな楽器がいいな」という理想が変化していくでしょうから、結論が出ないまま一生が終わるかもしれないわ。

2016年9月12日 (月)

座る位置と音響

ひとの出す音を聴くこと。
アンサンブルで一番大切なことでしょう。
楽器を始めるきっかけがバンドだった人ならそんなの当然かもしれませんが、クラシックピアノを習う場合は一人で完結してしまうので聴かない人が多いんですって。
音大ピアノ科の生徒でも当初はそんな状態という人が珍しくないんですって。大学に入って他の楽器の伴奏をしたりして気づくんでしょうね。
アマチュアの場合は、それどころか自分の音もロクに聴いていないんですよ。自分の演奏を録音して聴いてみてびっくりする人が多いそうです。それはもう私もです。
聞こえているのに聞いていないってとっても不思議。
どうしてそうなってしまったんだろう、きっと自分が特別センスのない人だからなんだと思っていたのですが、ピアノの人にはよくある話だと聞いてちょっと安心しました。

ヴァイオリン教室(のピアノ科)に入ってヴァイオリンの初心者のことを知るようになってからは、また別の理由がわかってきてさらに納得しています。
ピアノは自分でどうにかしなくても調律師がきちんと音程を作ってくれているから音程に気を使わないクセがついてしまうんですね。
弦楽器を初めて手にする人は、まず音程をしっかり決められるようになるまでに年月がかかります。
いい感じの音色が作れるところまで上達しても、音程は微妙に狂うことがよくあるくらいで、弦楽器の音程決めは本当に難しいんだなと思います。
そうして自分の音をよく聴くことが最初から求められるので、初心者のうちに聴く耳ができるのでしょう。

ピアノだって、初心者のうちに硬い音だとか柔らかい音だとか意識するように先生がもっていけばそうなりますが、まあ他にやることが多いのでもう少し大きくなってからと後回しにされてしまうのかな。
昔はそういう教え方をする先生は変わった人だったしな。
今はピアノでも簡単なことをしているうちに耳も一緒に育てる傾向に変わってきました。

さてさて。ピアノでもチェンバロでもアンサンブルを目標としたレッスンを受けているわけですが、相手の音の種類によって聞こえ方が違って拍の取り方が難しいとかいろいろあることがわかってきました。
大勢の弦楽器や合唱にピアノを合わせる場合、相手の音の立ち上がりが鋭くないので、拍の頭がそろえにくいのです!
1、2、3、4、とカウントできているつもりでも、なんだかふわふわ聞こえるのでぴったり合わせるのが大変!
録音に合わせてみるだけでもそうなんだから、もし実際にステージで合わせるとなったら反響の具合でまた聞こえ方が違ってあわあわしてしまうに違いない!
リハやゲネプロってそういう音響的なことを確認するのが主目的なんですよって教わりました。そんなところで自分の指の練習なんかしている場合ではないのだ(←いかにもド素人)。

それから、協奏曲の場合、ヴァイオリンとかピアノとかのソリストが前にいるじゃないですか。
その伴奏をするオーケストラは、ソリストの立っている位置によってそのソロがよく聞こえない人がいるそうです。
これは驚き!層を成している弦楽器の人たちは特にその影響を受けやすく、弦楽器群の後ろの方に埋もれている人はあまり聞こえない状態での処理法を身に着けているのですね!
そうか、自分の前にいるヴァイオリン群の音と、自分の後ろにいる管楽器の音ばっかり聞こえてきて、ソロは遠くにかすかに聞こえる感じか…。言われてみれば当然じゃないか。
でも金管楽器はその点ではあまり割を食わないから助かっていたんだなあ。そういえば、トロンボーンの前の人いつもうるさくてスイマセンって思ってたわ。

音量の小さな古楽器でも音響問題はあります。
チェンバロは、演奏者の席が一番聞こえにくい場所なのです。
レッスンは普通の家の生活空間なので、横で聴いても差はあまりありませんが、先日の発表会の部屋は結構反響がありました。
弾いていて、右側からわんわん返ってくるのが聞こえてきて、変な感じだったんですよ。
客席にいるとちょうどよい聞こえ方だったので、楽器を置く向きはこれがベストなんだな~と思ったものです。
数人でのアンサンブルならチェンバロの位置はこの横向きが普通です。
が、古楽の協奏曲だとチェンバロを真ん中にする配置がありまして、チェンバロ奏者がお客さんと向き合う方向で縦に置いて大屋根をはずします。
こんなふうに↓ バッハ「ブランデンブルク協奏曲 第3番」

稀に、チェンバロ奏者があからさまに指揮者の役をすることがあり、その場合は客席に背中を向けて(指揮者と同じですね)座るように設置するのですが、向きが逆になっただけですごく偉そうに見えます(笑)。
これです↓上のと同じ曲です。

2016年7月28日 (木)

管楽器の古楽器

部活に明け暮れた高校時代(+卒業後の1年間)にトロンボーンに親しんだため、管楽器への興味は低め安定で持続しています。
中でも木管楽器よりは金管楽器の方が、機構も最低限はわかっているのでなじみ深いのは当然です。

さてさて、もちろんのこと管楽器にも古楽器があります。
交響曲の父・ハイドンはもちろん、その後のモーツァルト&ベートーヴェンもばりばり古楽器の人でしたし、シューベルトも実は古楽器世代なのでした。
ロマン派後期くらいから、現代の楽器に近い機能性重視の楽器が登場します。

ベトモツの交響曲はがんばって古楽器で演奏しなくても、これまでのおなじみの編成でも十分素晴らしいので今後もこの形で演奏されていくと思いますが、古楽器バージョンもいいのですよ~。
ただ聴いているだけでも趣があるのはもちろん、理論的にもたくさんの「腑に落ちる」があるので知れば知るほどおもしろいんですよ~。

現代の金管楽器は「どんな調でも吹き易さが均等。出しづらい特定の音がない」のが長所でもあり残念なところでもあります。
木管楽器の場合は、現代の物でも多少は調による吹きにくさがあるので、調違いの楽器を曲によって持ち替えるそうですが、古楽器の大変さはそんなものではないという。
古楽器では、木管も金管も、吹き易い調、指使いが煩雑な調、よく響く調、音色がモゴモゴとこもってしまう調、等々面倒なことがたくさんあるのですけど、「だがそれがいい」。
物理的なハンディをどうにかするのではなく自然なものとして受け入れて、それに応じた曲が作られていました。この場合の「物理的」は物理の授業に出てきた「波動」のことね。

よく、「○長調は明るく無邪気、○長調は荘厳、○短調は…」と、調性によるキャラクターが言われますが、なんとなくはわかるけれど、そんなにはっきり違いが感じられるでしょうか。
でも、古楽器なら耳が鈍感でもわかるんです!
「これこれの表現をしたいので○長調で書く」という意味が、古楽を知ってから納得いくようになりました。
楽器ごとに調性への機能のしかたが異なるので、一つ一つ調べていけばもっとよく納得できるだろうな。

モーツァルトは管弦楽曲ではニ長調を好き好んで書いているようだけれど、トランペットや彼の大好きな楽器であるクラリネットにとって、ニ長調は最も明るく輝く音色が出る調なのですと!
上品で明るい曲だから、それが最も効果的に演出できる調を選んで書いたんだね。
でも現代のオーケストラで使っているトランペットやクラリネットなら、別の調でも音色は同じです。ここら辺が現代楽器の物足りない点です。ニ長調じゃなくたって、今のトランペットって華やかな音色でしょう。

ホルンの古楽器も、狩りの角笛の雰囲気の「森の調」、森と違って開けた感じの「田園の調」などそれぞれの調によってキャラクターが違っていました。
ベートーヴェンの「田園」交響曲は、ホルンにとっての「田園の調」で書かれており、古楽器で演奏すると本当に牛や羊が放牧された風景が見えてきます。
現代楽器での演奏だとその旋律に頼って田園っぽさを感じることになりますが、古楽器なら調性の持つキャラクターによってより増幅されます。

ただ、いかんせん、金管楽器の古楽器は演奏がとても難しい。
調性による趣を捨てて機能性に走るのは仕方のない流れだったと思います。
そして機能性がグンと上がれば、超絶技巧の旋律が演奏できるようになる。

楽器が進化したおかげで作曲家がより難しい曲を書く。

そんな曲は古楽器では演奏できない。

技巧の面だけでなく、ハーモニーも時代を追うごとに複雑さを増していったので、音程が安定しない古楽器でドビュッシーやラヴェルの音楽なんてとてもじゃないけど無理です。

これ↑など超一流の演奏なのですが、ホルンやトランペットの音程は微妙ですよね。ちょいちょいはずしていますよね。
これ以上は物理的に不可能なんです。
でも鑑賞するところはそこじゃない。

それともう一つ、編成について。
小中学生の頃は気づきもしなかったことですが、トロンボーンに特別な感情を抱く(笑)ようになってからは、ベトモツの交響曲にトロンボーンがいないことに気付いてたいへん驚きました。
正確には、ベートーヴェンの交響曲のいくつかには出てくるのだけど、あの時代には世俗曲にトロンボーンを使うのは畏れ多いことだったんだそうです。
「天国の音」「神に捧げる音」だから宗教音楽にしかトロンボーンは使わない慣例だったのを、ベートーヴェンは「運命」で破ったんですって!すごいな。尊敬しちゃうな。
オーケストラの規模もその頃からだんだん大きくなっていたこともあり、音量が大きくて中音域を華やかに彩れるトロンボーンは当たり前のように使われるようになったんだね。
そんなトロンボーンは古楽器の頃から外観も構造もさほど変わっていないのだった。あっけらかんと単純な楽器なのよね。神の楽器だから最初から完全形だったのかな?

意味合いは違いますが、ベートーヴェンの「第9」にはチューバが使われていません。
で、年末には楽団は大忙しだけれど自分は家でゆっくりできると笑っていたチューバ奏者がいました。チューバ・ジョーク、レアだな~。

2016年7月 6日 (水)

フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック

イングランド話、続きます。

土臭い田舎っぽい素朴だ…言い換えれば貴族や宮廷と正反対の、庶民の暮らしが透けて見えるところに魅力を感じています。
となるとチェンバロのイメージとは合わないのですが、だからこそヴァージナルがしぶとく生き残った土地でこういう音楽がたくさん作られたことも納得いくってもんです。

この時代の鍵盤曲を約300曲記録した楽譜が残っていて、所有者だった貴族の名を冠して「フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック」と呼びならわされています。
昔は、「エリザベス(一世)のヴァージナル・ブック」とも呼ばれていたそうですが、エリザベス朝に書かれた曲ではあるが彼女はこの曲集を所有していた事実がないため、今では「フィッツ~」の呼称で統一されているんだって。

フィッツウィリアムって、あのフィッツウィリアムかしら。
ケンブリッジにあるフィッツウィリアム博物館に30数年前に行ったことがあり、えらく奇妙な品ぞろえで強く印象に残っているんですけど。
もう一度行きたいとずっと思っていて、夢に見たこともあって、後に英国に何度か行ったときに寄ったような気もするしまだ再訪していないのかもしれないし(最初の記憶の鮮明さに比べてどうも曖昧だ。再訪かなったように記憶を捏造し始めているのかもしれない)。そんな気になる存在のフィッツウィリアムが私の人生にまた関わってくるのか?
便利な世の中に感謝しつつ、一発検索、さくっと解決。
そのケンブリッジ大学附属の博物館に収蔵品を寄附したフィッツウィリアム子爵と、ヴァージナル・ブックを所有していたフィッツウィリアム子爵は同一人物でした。
おおう、こんなところで過去と現在がリンクしたわ。
楽譜はレギュラー展示されていないけれど、他にもいくつか貴重な楽譜が収蔵されているそうです。
チェンバロの先生に、フィッツウィリアム博物館に行ったことありますよーと話したら、とても盛り上がりました。

今年の発表会用の小さなかわいい曲もこの本から探したのですが、たまたま適当に決めた割には発見の多い曲でした。
冒頭の2小節で「あれ、これ知ってるわ」と思ったのに、3小節目からは知らない展開(全部で1ページしかないが)。
「これ知ってるわ」だけどなんの曲だかずーっと特定できなくて、2週間後のレッスンで先生にお尋ねしてしまった。
たぶんレスピーギだと思います、というお答えで、なるほどと思いました。

『ローマの松』で有名な(義務教育の音楽の時間に聞かされる)レスピーギ、実は古い音楽が大好きで、リュートなど古楽器の曲を弦楽合奏やピアノソロに編曲した作品がたくさんあるのです。
でも…旋律は確かに古風なんですけど、ロマン派っぽいアレンジなので、なんとなくBGM的な感じがしてしまうんだなあ。とはいえひたすら美しいですし、そのあたりを狙って作ったのかもしれませんが。
BGM的だから、喫茶店に有線で流してもいいし、旅番組などに使ってもいいし、ってんで知らぬうちに耳になじんでいたんだろうな。

レスピーギがアレンジしたのはこれ↓耳に残っていたのはたぶんこれ。

動画がついていません。ずーっと真っ黒です。絵をつけるの面倒だったのかな。
演奏はカラヤン指揮ベルリン・フィル。

私が弾こうとしているのはこれ↓

このヴァージナル・ブックに入っている曲は、流行歌や民謡をアレンジしたものが多く、そこにおもしろい題名をつけたりして、なんだかこの人たち楽しそうですよ。
都会や宮廷で流行している舞曲にならって作った曲も多いですが、やはり舞曲って鉄板なのね。誰でも踊って楽しくなれるもんね。
庶民に降りてくると踊りのスタイルも俗っぽくなったりしていたのだろうな。
当時の服装は本でも映画でも見ることが多いので、こんなふうに想像をふくらませやすいですね。
動画サイトを探したら、当時の踊りを再現している人たちが世界中にたくさんいました。撮影が素人っぽいものがほとんどで、この趣味の裾野の広さに驚きますね~。
コスプレもとっても楽しそう!
一例↓これは撮影がマシな方です。

チェンバロのと良く似た曲で踊っているのを探したんですよ。
出だしはおんなじでしょ。
題名が、ダンスのは「新しいスパニョレッタ」で、チェンバロのは「古風なスパニョレッタ」。
スパニョレッタというのは、スペイン風舞曲くらいの意味です。いろんな曲にこの手の題名がついていて、題名だけで区別するのは難しい。

リュート奏者つのだたかしさんが演奏したものがCMに使われたのでそれも耳に残っていたのかも。たかしさんは、漫画家のじろうさん、メリージェーンのひろさんとはご兄弟です。リュート、いいなあ。
リュートの時代の古い楽譜ではなく、あえてレスピーギのアレンジ版メロディを使っているのが逆輸入っぽいですね。でもちゃんと舞曲のアプローチなのがさすが。
これは↓音が小さいのでボリュームを上げて下さい。

ギターにも合いますな。ギター教本によく載っているらしい。

ルネサンス時代は、その旋律の本当の作曲者が結局誰なのかはっきりしない。
似た旋律はあちこちにあり、人気曲が少しずつ形を変えて拡散していったようです。

SF作家P.K.ディックの名作「流れよ我が涙、と警官は言った」のタイトルに採られている「流れよ我が涙」もこのフィッツウィリアム・ヴァージナル・ブックに入っています。
ダウランドという、ルネサンス音楽の代表的な作曲家による曲で、絶望のどん底のような歌詞。

ところで、レスピーギって結構最近の人だったのね!
明治12年生まれで昭和11年没。
江戸末期くらいの人かと思っていたので驚きました。

2016年6月25日 (土)

2段チェンバロへの野望

NHKの子供番組「ムジカピッコリーノ」を毎週録画して見ています(私にとっては早朝なので)。
子供向けとあなどれない音楽番組なのです。
新シーズンではオダギリジョーがレギュラー出演し、けだるく謎めいた空気を醸しております。

今日の放送ではチェンバロをとりあげていました。
最後の演奏シーンでは、バロック曲ではなくモツの「きらきら星変奏曲」を選曲したことにおっ!と興奮しちゃいましたよ。
昨年の発表会でモツ曲を選んだこともあり、チェンバロでフォルテピアノ曲を演奏するのもある程度はアリなんだという認識でいますが、テレビでプロ中のプロがやってくれると「やっぱりいいんだよね!」とますます確信が強まるってもんです。
フォルテピアノによる原曲↓ モダンピアノで弾くとちょっとつまんなく聞こえる。

「ムジカピッコリーノ」では、レギュラーメンバーと、毎回のゲスト奏者との合奏がハイライトなので、アレンジも楽しみなのです。
ロック系の人とクラシック系の人がレギュラーにいるせいもあって、いつもあっと驚かされたり、感心したり。レギュラーメンバー以外にも、映らないけれど楽器を足していますね。
今回は本当にいろいろなアイディアがふんだんに使われていたので、繰り返し見ています。

来年の発表会では2段鍵盤を活かしたソロ曲に挑戦しようかなあ、とこの放送を見て思いました。
春まで通っていた音楽教室のチェンバロは4台とも1段鍵盤でしたが、先生のお宅のチェンバロは当然のように2段鍵盤で、いつかは2段を使いこなせるようになりたいと、うっすら思ってはいました。
新たに利用することにした練習用レンタルスタジオにも2段鍵盤のチェンバロが置いてあるので、その気さえあればできるようになるはずです。
最初にやってみる曲は、番組のマネっこだけれど「きらきら星変奏曲」、いいかもしれないなあ。曲自体は大昔に全部弾けましたから、手が迷うことはない分安心だし。左手の速い動きがまだ復調していないので、そういう変奏をカットするとかなんとかすれば問題ないだろう。
まずは今年の本番が終わったらちょっと試してみよう。

2016年1月26日 (火)

これがバロック・ボウ

では、あんな夢こんな夢の例でも貼っていきましょう。

ドリームその1:コレッリ

バロック時代→ヴァイオリン→ヴィヴァルディかコレッリ、というくらいに代表選手のコレッリさんですが、弦モノに疎かった私は最近まで全然知りませんでした。
残されている曲が少ない割には後世に与えた影響が大きかったのか、バロック音楽の重要人物となっているようです(ヴィヴァルディはコレッリより後に出てきた人です)。
「弦楽器と通奏低音」という編成の曲がほとんど。
12曲のヴァイオリン・ソナタの中の第12番が突出して有名です。
でも私が貼るのは第9番なのだった。

この動画はアップでバロック・ボウがよく見えるのがいいですね。
弓身(茶色の部分)が、普通のボウと逆向きの孤を描いていて、弓毛(白い部分)との隙間が大きく開いているのね。

2015年10月11日 (日)

チェンバロの衰退と復活

ところで、レッスンをお休みしていた夏の間に、チェンバロの不遇時代と復活について調べていました。
子供なりに世界が広がり、ある程度の理解力もついてきた小学校高学年の頃に、オーケストラやさまざまな楽器についても興味をもつようになったのですが、その時点でチェンバロも普通に楽器の仲間の中にいました。
だからなんの疑いもなく、バッハの時代から途切れることなく存在していたのだろうという認識でいたのですが、実はしばらくの間「歴史上かつて存在した幻の楽器」と化していたのですと!
習うことに決めてから少し調べてこの衝撃の事実を知り、もっと知りたいチェンバロさんのことを、と思ったのでした。

衰退の理由は、楽器そのものが時代遅れになっていったというのが第一でありましょう。
ピアノが登場すると、チェンバロは扱いにくいし(自分でしょっちゅう調律しないといけない)音は小さいしで、廃れてしまったそうです。
ピアノが発展途上でまだ動作の不安定だった頃にもう人々はそっちに飛びついたのですねぇ。

そしてもう一つ、チェンバロの主な用途が通奏低音であることも衰退の原因の一つだったと、その通奏低音のいろはを学び始めてハタ!と納得しちゃいました。
あまりにも専門技術すぎて、こんなことでは一般家庭で演奏不可能じゃないですか。
ならばと、ちょっと楽譜が読めてちょっと指の練習をすれば一人で楽しめるような曲づくりをしても、そのような曲はピアノで弾いてもいいものだし、人気はピアノに流れる一方だし。
チェンバロに限らず楽器演奏が貴族と専門家だけのものだった時代から庶民にも降りてきた時代が、ちょうどピアノが普及してきた頃と重なるのです。ものすごく納得。

19世紀末にチェンバロが復元された当初は、当時の姿そのものではなく新時代の技術を投じていろいろな工夫をしました。
それらはモダン・チェンバロと呼ばれ、演奏家も試行錯誤していたようです。
これを「新発明の楽器」「珍しい音色」ととらえて曲に取り入れた新しもの好きの作曲家もちらほらいました。

20世紀に入ってもモダン・チェンバロのまま、作る人によっていろんな機能をつけて統一規格のない自由な楽器でした(しょせんイロモノ?)。
と、バロック時代ではなく最近のチェンバロの歴史について調べるうちに、70年代にはチェンバロ(風)の音の入った曲が結構あったなあ!と芋づる式に思い出してきました。
当時、モダン・チェンバロを使うことがクラシック以外でもはやっていたんですよね。
それがちょっと前にここでもとりあげた『キャンディ・キャンディ』の主題歌や、ポール・モーリアの曲などです。
そういえばグールドさんもあの時代なのでモダン・チェンバロを使っていました。映像も残っていますが、ガシガシとした弾き方です。モダンはピアノのような弾き方でもいいので、ピアニストには好まれるのかもなあと思いました。

しかし、ポピュラー分野でのチェンバロは一時期のはやりでしかなかったようで、その後はほとんど耳にすることがなくなり、バロック音楽の楽器としての研究が積まれていくことになりました。
そうなるとやっぱり、忠実に再現したヒストリカル・チェンバロが主流になるのです。
そりゃそうよねー。
特にレオンハルト師がヒストリカル・チェンバロとその奏法の発展に多大な貢献をしたのでした。
60年代から70年代にバロック曲をモダン・チェンバロでピアノのようにバリバリ演奏していたカール・リヒターは、もしレオ師と同じように長生きしていたら(同世代です)、途中でヒストリカル・チェンバロに移行したかしら…。うん、しただろうな。

21世紀に入ってからは古楽ブームといわれているそうで、私が今、どんなマイナーな曲でも録音や動画を見つけるのに苦労しないのはそういうわけなのかとありがたく思います。
バロックどころかルネサンス時代の音楽もじゃんじゃん演奏されている。
音楽大学に古楽科ができたのも割合最近のことだし、ブームがブームでなくなり定着してきたのかなと希望的観測…。
ごく普通の人が古楽器を習えるよい時代が長く続きますように。

♪♪♪

ヨーロッパ製ピアノの専門店でもチェンバロを扱う店がありますが、ドイツのザスマンというメーカーの品を扱うことが多いみたいなのですよ(チェンバロ専門店・古楽器の店はまた別の話)。
カール・リヒターといえばザスマンというくらいで、昨今の古楽ブームの感覚では「過去のもの」な感じですが、さすがに今はヒストリカル・チェンバロにかなり近い楽器を作っています。
忠実な再現だとメンテが大変なので、そこはなんとかならないかと工夫しているそうです。
その工夫ぶりがピアノ職人脳だな、と思うんですな…だからピアノのプロがザスマンに惚れこむのはなんとなくわかる。
しかし鍵盤をピアノと同じ長いものにするのはどういうこだわりなんだろう…ピアノに慣れた人にとっての違和感を減らすためなのだろうか…。

たまたま、この夏に2台の中古ザスマンに触ることができ、好きにはなれなかったけれど、勉強になりました。
どちらも2段鍵盤で、モダンタイプに近い1台と(弾いてみてカール・リヒターっぽい…と思った)、もう1台はかなりがんばってヒストリカルに近づけている1台。
でもイマイチいつもの感じが出ないというか、指に返ってくるものが物足りなくて愛着がわかなかった。琴をひっかくような感触が指に伝わってこないと私はいやだなー。
楽器としての好き嫌いはさておき、後者はロココな装飾がしてあるのでインテリアとしても優れものでした。装飾職人の技術料も相当かかっているようで、値段もなかなかのものでしたが、中古ということを差し引いても、この装飾ならお値打ち価格だと思いました(レストランやホテルに置くなら安い買い物ではないかと)。
まあ、今後もどんなタイプであれ、中古チェンバロが出てきたら試弾に行って見聞を広めたいと思います。

♪♪♪

一度忘れ去られたのはチェンバロだけではないという話。
バッハも生きていた頃は作品は堅くて古臭いと人気がなく(息子たちの作品はモーツァルトに近い作風で大人気)、死後は忘れられてしまったのねー。
メンデルスゾーンがバッハの偉大さに気付いて啓蒙したおかげでそれ以後の作曲家たちも大いにバッハの影響を受けて今に至ることができたのだ。
モーツァルト的な音楽はロココ風の華やかでわかりやすいものだから、モツほどの天才でなくてもそういう曲を量産すれば人気を得て暮らしが立つんですよね。
バッハの曲は謹厳で難しいからと専門家以外には敬遠されたのでしょう。
現代人がバッハを聞くとき、専門知識がなくとも「なんだか近代的なオシャレな響きがする」など楽しみかたがいろいろあると思うのですが、ロココ時代はバッハの響きが自然に素敵に感じるには中途半端な時代だったのかな。

2015年9月11日 (金)

アルペジョーネ

幻の楽器、アルペジョーネ。

シューベルトの『アルペジョーネ・ソナタ』を最近知りました。
アルペジョーネとフォルテピアノのための二重奏曲で、現代では、チェロ(もしくはヴィオラ)とピアノで演奏されています。
発表会当日の日記にも書いたように、いつか弾いてみたくもあるのですが、あの日そうやって話をしたら一人で盛り上がってしまい、いろいろな演奏を探して愛着が増したのでした。

たぶん、シューベルトがこの曲を書かなかったら、アルペジョーネという名の楽器がかつて存在した事実は埋もれてしまったのではないかいな?
とある楽器マニアのヒマ人(←主観です)がヴィオラ・ダ・ガンバとチェロとギターのいいとこ取りの楽器を作ってみようと思いつき、実行した。だが、へ~おもしろいじゃないかと思ってもらえるのは一瞬で、どの楽器と比べても中途半端に使いにくくてやっぱりだめだな…ということだったんじゃないの?
楽器が完成した年にシューベルトはこの曲を書いたが、出版されたのは50年近く後のことで、そのときにはもう楽器が廃れていたと書いてある(ぐぐった結果)。
でも良い曲だから他の楽器で演奏され続けているのだな。

アルペジョーネは6弦なので単純に考えても音域が広く、4弦のチェロやヴィオラで演奏するのは大変なんだって。
それから、この曲には6弦まとめてはじく部分があって、それは4弦では物理的に無理だわね。

古楽ブームの現在はフォルテピアノはまあまあ使われていて(チェンバロほどではないが)、探せば結構録音や動画があるものです。こんなにあるとは思わなかった。
しかしアルペジョーネはなかなか復元されないみたいですね。でもあるところにはあるのね。
見たとこ、ヴィオラ・ダ・ガンバで代用してもいいような気がするけれど。

『アルペジョーネ・ソナタ』第1楽章
まずは一番よく演奏されているチェロ+ピアノの組み合わせで。

曲調は、どことなくロマ(ジプシー)の雰囲気。
田園や森のにおいがする。
1分20秒くらいから始まる弾むようなリズムは、彼らが踊っている様子を連想します。

チェロの次によく演奏されるのはヴィオラ版です。
ヴィオラ界のトップ・スター、ユーリ・バシュメットがマルタ姐さんと共演!豪華!

人間が歌っているような音域のヴィオラ+ピアノ、美しいなあ。

そして、これ↓がアルペジョーネですって。相棒はフォルテピアノです。

フォルテピアノは音量が小さく、音程も微妙なので、現代のピアノにまで進化していく必要があったのでしょう。
しかし、これはこれで持ち味がある!ということで愛好家も増えておる次第です。作曲された時代の楽器で演奏する意義もあると思います。
それにしても、アルペジョーネも音程キープするのが大変そうですね。
個人的には、まあ幻になったのもわかるなあ…。…。これじゃ生き残れないよね…。

最後に変わり種。フルート+ピアノでやってみたらこうなった。
フルート奏者のリサイタルでとりあげられることもありますが、チェロやヴィオラに比べると頻度が低いかも。

この動画はサマー・スクールでの音楽学生のレッスンなので、なんかわちゃわちゃしていて楽しそうなのが気に入っているのだ。いいなあ青春。

2015年8月26日 (水)

同じ鍵盤楽器でも

い~いクスリです、の太田胃★のCMに長年使われてきたショパンの前奏曲7番。
べつきーが出演している最近のバージョンでは、その曲をなぜかチェンバロで演奏したものが流れています。さすがにショパンは合わないなあ。
ショパンはピアノの詩人といわれるくらいで、ピアノの特性を最大限に引き出す曲を作っているではないですか。その中でも、ピアノの残響を生かした間(ま)が命の曲をよりによってチェンバロで。
ジャラジャラした音色と残響のなさがあいまって実に残念な結果になってしまった。

逆のパターンも。チェンバロの曲をピアノで。
バッハが当たり前にピアノで演奏される現代では普通のことです。
当たり前すぎて、素人は指づかいがむずかしーなーとかくらいしか考えずに練習しますが、プロは「バッハの時代にはなかった楽器でどう演奏するか」と考えぬいているらしいです。
まったく違う楽器で演奏するのだから正解はない気もしますが、これならバッハも怒らないだろうという線引きがあるのはなんとなく想像できます。
でもってピアノで演奏しても素晴らしい音楽になるのだからバッハ先生はさすがであります。

ピアノ学習者レベルで練習する機会のあるチェンバロ曲はバッハの他にはほとんどなくて、かろうじてスカルラッティがちょぼちょぼあるくらい?
かくいう私は、スカルラッティをしっかり認識したのはチェンバロを習い始めてからです。
長いこと、ソナチネのクレメンティとごっちゃになっていて、どっちがバロックでどっちが古典派だっけか?いやどっちも古典派だっけか?という状態でした。
だが「ティ」しか合っていない。

スカルラッティに着目したのは、チェンバロのための「ソナタ」を555曲も作曲した人物であると知ったからです。
「ソナタ」といってもベートーヴェンの「ピアノソナタ」などのような構成のかっちり決まった3~4楽章もある長い曲ではなく、1楽章だけで完結した短い曲なので555曲も作ることができた…そうは言っても555曲だぞ。
バ○じゃないのか。
そしてこれ全曲弾いて録音する○カはいないよね、と思ったら広い世界には4人もいたのである。
同じ人が作ったのだから似たような曲がかなりあるのは当然で、全曲弾く必要も聴く必要もないと思いますが、マニアなら…。
抜粋して何曲かピアノで演奏する人はプロにも結構いて、それらを聴いて「子供の指が速く回るようにするための練習曲みたいだな」という印象を持っていました。
バロックよりは古典に近いロココ調で、バロックとモーツァルトの間の架け橋だなあと思わせます。明るくてコロコロ転がって華やか。だけどそれだけ。時代が下ってくると音楽に精神性や文学性を含ませたくなってくるけれど、この時代はまだ気楽な貴族のサロンのものでした。
しかし、そもそもはチェンバロのための曲だったというのでプロの演奏を探して聴いてみたところ、チェンバロの華麗さを最大限に聴かせるための曲なのだった!
ピアノで弾くから練習曲っぽく聞こえるのか~納得したら弾きたくならないでもない。
スカルラッティは王女様のチェンバロ教師で、彼女の教育用に作曲したのだそうですから、練習曲っぽく聞こえたのもあながち間違いではないか。
555曲の中から90曲とか150曲とかを厳選した楽譜が出ている他、バロック曲集等に数曲入っていたりします。難度や強化ポイントもいろいろバラエティに富んでいるので、よく選んで練習すると楽しそうです。でもやりすぎると飽きそうです。

2015年1月19日 (月)

ヴィオラ・ダ・ガンバ

弦楽器と他の楽器との演奏上の違いを体感したい

少人数のアンサンブルを楽しみたい

ヴァイオリンを習ってみたいものだ

という結論が出たが、数年後の楽しみとして保留してあるという話を少し前に書きました。

チェンバロの先生とそんな話をしていたら、それならヴィオラ・ダ・ガンバはどうかと提案されまして。
私の認識上のヴィオラ・ダ・ガンバは、古楽の世界におけるチェロっぽい役割の楽器というざっくりとしたものでした。
が、チェロサイズのものだけでなく、ヴァイオリンサイズから大きいものまでいろいろあるのだそうです。
で、ヴァイオリンサイズのものでも、肩とあごで支えるのではなく、チェロのように立ててももの上に乗せて演奏するんですと!
つまり、私たちが普通に思い浮かべるヴァイオリンの構えではないわけです。これはまったく知らなかった!五十肩にも優しい楽器かもしれません。
ギター同様、指板にフレットがついているので、ヴァイオリンのように音程をつかむのが難しいということもありませんし、他にもヴァイオリンほど難しくない特徴がいくつもあるので、とっつきやすいですよ~って。
あえて欠点を探すと、古楽の楽器だからフランス近代音楽を演奏することはできないところかな(この年から始めてあの難しいヴァイオリンで近代音楽なんか弾けるようになるのか?という疑問は置いておく)。
ヴィオラ・ダ・ガンバをやりたい人の多くはやはりチェロサイズのあれを想定して来るそうで、そちらに人気が集中してヴァイオリンサイズを弾く人が少ないんだって。これはかえって好機ではないのか?

音色も、ヴァイオリン属とヴィオラ・ダ・ガンバ属では違い、やはりそれは現代のピアノとチェンバロの音色の違いに相当するものです。
属が違うだけあって奏法にも違いがあるという点でも、ピアノとチェンバロの違いに似ている。
その音色と操作性(?)に合った音楽が生まれてきたわけで、それぞれに良いところがあるのでどちらかだけが好きとも良いとも言えません。

ちなみに、ヴィオラ・ダ・ガンバ属の楽器はヴァイオリン属の楽器よりもかなり安く手に入ることがわかりました。
チェンバロ同様、現代の職人が手作りしており、そうそう売れるものでもないからおそろしい値段かもしれないと思っていましたが、そこは安心しました。

まずは一度、生のコンサートでこの楽器たちを聴いてみよう!と思っています。