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レッスン◆ピアノ

2017年12月12日 (火)

ブラームスの印象

さてそのブラームスですが、ロマン派の中で誰にする?ということでそれにしたんですけど、改めて調べてみるとおぼろげだった印象がだいぶ変わってきました。
生きた年代はロマン派の後期ですが、曲(特に管弦楽曲)は古典派に近いものだったんですね。
ベートーヴェンへの尊敬の念が強すぎて、ベト風から脱する気がなかったという。
ただ、ほっといたら古典派っぽい音楽は廃れて埋もれてしまったかもしれない(バッハはそれで一度忘れ去られましたからね)。ベト風の、小編成でがっちりした構成の交響曲を継承し、同時代の仲間たちが交響曲を発展形にもっていくきっかけを作ったんだって。チャイコとかマーラーとかが、編成を厚くし、形式よりもストーリーを重視した交響曲を生み出したのもブラームスのおかげだったりして?
ピアノでちゃんと習ったのはハイドンベトモツまでという私には、ロマン派の入り口にそんなブラームスを持ってきたのはよかったのかしら。

でもそんなブラームスでもピアノ曲には結構ロマン派の香りがするよ。
そもそもピアノ曲のイメージのない人で、ブラームスといえば交響曲とハンガリー舞曲とヴァイオリン協奏曲、ピアノはかろうじてワルツ(Eテレ2355)、あとは何があるの?と思っていました。
ここ数年で、「交響曲は意外と4曲しか書いていない」「室内楽曲は割と多い」「歌曲はとても多い」「ピアノ曲は若い頃と死ぬ前に集中して作曲し、数は少ない」ということを知りましたが、ピアノ曲に限らず全体的に多作ではないということもなんだか意外。
超マジメで完璧主義者、推敲に年月がかかったらしいです。
ピアノ曲から作曲を始めましたが、たいした曲数を作らないうちに交響曲などの大作に向かっていき、ピアノへの興味を失ったかのような時期が長かった。亡くなる4年前に身辺整理などしてから「やっぱピアノ曲を書いときたくなったわ」とばかりに短い曲を20曲(と声楽曲を少し)続けて作ったそうです。
そんな事情を反映し、最後の20のピアノ曲には地味・暗い・ゆっくりの曲が多いです。速い曲でもほの暗い。遺書みたいな曲と位置付けられていますし、死にゆく自分への子守唄だと自分でも言っていたそうです。でも美しいんですよ。
私は50歳を過ぎてから初めて聴いたので、しみじみいい曲だなと第一印象から良かったんですけど、もし若い頃に聴いていたら「暗い!遅い!いらん!」と切り捨てていたでしょう。
聴けば聴くほどしみるスルメ曲たちです。

2017年12月11日 (月)

最近のレッスンメニュー

久しぶりにピアノのレッスン風景など。
当初からずっと3冊の楽譜を使っています。
別々の3つの目的に沿った3冊なんですよ。

①純粋に技術だけをとり出してレッスンする

樹原涼子著 『ピアノランド』 テクニック編 全3巻

『ピアノランド』というのはまったくの初心者用の教材シリーズで、曲を弾きながら楽譜の読み方のルールなどを覚えていくタイプの楽譜です。昔なら『バイエル』一択だったのが、今はこのような教材がたくさん出ています。
で、その姉妹編で「テクニック」に焦点を絞った別冊があり、それを使って基本を叩き直しているというわけです。
ここに出てくるようなことは遠い昔に全部やってきたのですが、今更こんなことなんて思ったら大間違い。細かい点では完璧に習得できていなかったことが自覚できて、叩き直し甲斐のあるレッスンとなっています。
体の使い方も自己流で、無駄な動きが多かったり、力の入れどころがまったく間違っていたり、直すとラクに弾けるし、昔できなかったことができるようにもなるし、いいことばかりです。
音符の意味(長さとか)を正確に考えるクセもつきました。
初級の曲でも、「こんなのパッと見てサラッと弾けるじゃん!」なんてもう言えませんよ。

この教材は今の先生についた当初から使い始めて、全3巻の最終巻に入りました。
その巻は、小学校高学年くらいにならないと身体的に無理かなという内容が多いです(体のサイズや筋肉の発達などの問題)。
表紙のイラストも、上巻は幼稚園児くらい・中巻は小2くらい・下巻は小6くらいの子が描かれていて、なるほどです。

②並んでいる音符を見て作曲家が曲にこめた意味を考える訓練

バルトーク作曲 『ミクロコスモス』 全6巻

これも当初から使い始めて第2巻に突入。4巻までが学習用で、5・6巻はいきなり中級の上くらいにレベルが跳ぶ不思議な曲集です。
2巻くらいまでは、見た目は『バイエル』くらいのまばらな音符で手が小さくても弾けるように書かれているのですが、調性やリズムがとても変わっていて従来の「音楽らしい音楽」「きれいでうっとりする音楽」ではないので好みが分かれるところです。
『バイエル』はベートーヴェンと同じくらいの時代に作られましたが、バルトークは最近の人だからね。
ですが、子供のうちから習うのなら、最初からこのようなへんてこな譜面に慣れ親しんでおくと、先々お得だと思います。
私の場合は、近現代の音楽が好きな人だからこの曲集がいいだろうと先生が考えたそうです。ドンピシャです。

毎回、おもしろいストーリーが思い浮かんできて超カンタンな譜面なのに演奏を楽しんでしまいます。
そんな中で、「ここで左手と右手が反行します」「ここからカノンになっています」「これはフリギア旋法です」「終止の直前にナポリの6度、来ましたー」などと文法的なことを見つけて、かつそれにきちんと対応するクセをつけるよう訓練中です。
弾くだけで頭がいっぱいになるレベルの曲では、いろいろ考えて演奏することが大変なので、あえてこのレベルで丁寧に、という趣旨なのです。
いちいち身構えなくても、自然にできるようになったらいっちょ前なんだが。
短くて音が少なくてヘンテコな曲なので、曲の美しさにごまかされずに文法を考えることができるんですよね。美しい曲だと、なんとなく盛り上げて歌った気になるというワナがある。

2巻に入ってからは全曲やらなくてもいいかな~となって、抜粋してレッスンしています。
1巻が終わった時、先生は「次どうしましょうねえ。いきなり6巻に行ってもいいかもしれない」ともおっしゃっていましたが、おもしろがってやっていることだしもう少しやってみることになったのでした。
4巻までは同じようなレベルでじっくり固める構成だから、大人はある程度やったらとばしてもいいかもしれません。

③上記の曲集で練習していることを「音楽らしい音楽」でも応用する

カバレフスキー作曲 『子供のための小曲集』

この人も近代人なので、ベトモツ時代やロマン派のようなオーソドックスな曲ではないのですが、さほど奇抜な曲ではありません。
初級でオーソドックスだと「ツマンネ」と思っちゃうからこれくらいでちょうどよいです。
『ブルクミュラー25の練習曲』と同じくらいのレベルと内容で、時代感だけが違うかな。
30曲入っていて、4曲まで先生が選んでレッスンし、最後に好きなのをやってこの本は卒業しましょうとなったのですが、好きなのが2曲あって選べなかったので両方みていただき、ようやく終わりました。
この先生とディスカッションしながら曲を作っていくのが楽しくてねえ。初級本なので一人でサクッと弾いて終わりでもいいんだけど、対話によってより深い世界が生まれるからもったいないんですよ。
先生はSFとか漫画とかに結構詳しいみたいで、説明抜きで通じる世界観が合うというのが大きい。西洋音楽をやっているのだから、キリスト教や神話や西洋史も最低限知らないと盛り上がらないし、好みや感じ方に相違点も多々ありますがそれがまた刺激的でおもしろい会話に発展する。文化的背景に共通項が多いのは大事だなと思います。

さて、子供曲での応用を卒業したのでいよいよブラームスをやっていくことになります。
結局、「好きなの選んでいいですよー」ってことで、晩年の4つの小曲集から私にも弾ける曲を番号順にやっていくことにしました。
『幻想曲集』(全7曲)
『3つの間奏曲』
『6つの小曲』
『4つの小曲』

全20曲中、速い曲を除いた10曲ほどを仕上げられたらいいな。
CDで聴きまくっているのですが、「ゆっくりの曲だから棒読みレベルなら難しくないし、細かくじっくり勉強できるだろう」と思っていざ弾いてみたら、とんでもなかった。
地味に込み入ったことをしている。
ピアノの達人だったブラームスは、若い頃は技術に走った派手な音楽を書いていたけれど、晩年になって俺ももうじき死ぬんだなーなどと考えながら、作曲技術の粋を集めて枝葉を取り払ったように書いた曲は、別の意味で技巧的なのだった…。
しかしスローテンポの曲だからがんばればできる!と言い聞かせて、ゆっくり地道に譜読みをしています。
平日はあまり練習できないから中学生の頃のように1週間でソナタ1楽章読んでしまうようなペースではできません。まあ大人のレッスンなので、途中までしかできていなくても大丈夫です。
地道に確実に!どれも好きな曲なので飽きずにできると思います。

2017年10月22日 (日)

ロマン派への入口

子供用の教材でピアノレッスンを続けて1年半。
発表会の曲だけは大人仕様でしたが、教本も曲集も子供のために書かれたものしか使ってきませんでした。
余裕で弾ける曲を深く掘り下げる練習でとても充実していましたが、発表会が終わったのを機に、そろそろ違うことをやりましょうということになりました。
基礎の叩き直しから次の段階に進むことになったんですね!
とはいえ基礎も中度・高度のことが待っているので引き続きやっていきますが、経験者の大人ならではの曲で応用力をつけていくのかな?と思います。

残っている子供曲集を11月半ばくらいまではやるので、それまでに次の課題曲集を決めるということで選ぶ材料を尋ねられました。
「作曲家や具体的な曲などご希望はありますか?」
「未踏の地であるロマン派をそろそろ…」
「お!私も絶対ロマン派がいいんじゃないかなあと思っていたんですよ!でも、ロマン派には興味ないとちょいちょい表明していたからなあ…どうかなあって。やー、よかったです!」
「昔習ったベトモツのソナタを一からやり直しという線もちらっとよぎったのですが、今はまだそんなに乗り気ではないなあ…まあそのうちに…という感じです」
「なんと!私もまったく同じことを考えていました。いつか必ずそういう(ベトモツ)気分が訪れるのでそしたらやりましょ~」と盛り上がりました。
で、ロマン派の誰にする何にするでひとしきり固有名詞が飛び交って、シューマンかブラームスかまで絞ったところで話の続きは翌週へ持ち越し。

ロマン派で中級ならまずシューベルトとかなんですけど、シューのピアノ曲には萌えないので選択肢に入らなかった(何度も言うが、シューの良さは歌と弦楽にある)。
シューベルトの「楽興の時」第2番は中級の代表選手↓

ショパンは聴く分にはいいが特に弾きたいものではない。

シューマンはお互いに具体的な曲名がばんばん出てきたけれどどうかな。
先生が「クライスレリアーナとか!」なんておっしゃるので
「いやいやいやいや!難しすぎます!」
「それはまあ難しいですけど」
「クライスレリアーナでシューマンに興味を持ったくらいで憧れの曲ですけど現世では無理だと思ってますー」
「えー、できますよ~」
「うっそーん」
「いけますって~」
「8曲の中には速すぎないのもありますが…」
などと夢のような会話もありましたが、ロマン派への入り口に持ってくる曲ではないわいな。でもいずれ中の何曲かはできるかもと希望は芽生えました。

あと、ブラームスの話では
「ワルツ集はよく弾かれているのでちょっと見てみたことがありますけれど、弾くのがしんどいなという印象でして」
「あら、あれは弾き易いですよ!(先生の目がきら~ん☆)」
というやりとりも。ブラームスのピアノ曲は中級の上くらいからで気軽に手を出すようなものではないと思っている中で、唯一ポピュラーかつ手を出し易いのがワルツ集なんですよ。
でも、左手がブンチャッチャの伴奏になっている3拍子の曲がどうも好きじゃなくて…近代以降の3拍子曲はブンチャッチャぜずにワルツに仕立てているので、弾いていてすごく楽しく乗れるのですけども。
ブラームスなら間奏曲(インテルメッツォ)や奇想曲(カプリッチョ)がいいなあ。1曲1曲が短いし。

そして翌週、シューマンとブラームスどちらがいいですか?とストレートな質問があったので、ブラームス!と即答し、選曲はおまかせすることになりました。
さて何が来るでしょう。わくわく。

2017年9月14日 (木)

強弱で表現すること

ピアノの発表会から10日ほどが経ち、次のことに向かっているここらあたりで、ちょっとふりかえっておきましょう。

チェンバロでは、楽譜を見て「ここはおいしい箇所だ」と判断したらテンポを少し遅くして(ためて)華麗な装飾など入れたりもして協調するのですが、ピアノでは必ずしもそれが吉と出ないことが多いなあと思う今日この頃です。
ロマン派のたっぷりした曲なら、《ため》がベタすぎるくらいでちょうどいいこともあります。ショパンの短調のバラードなどなど。
ですが、私が今回のピアノ発表会に選んだ曲はクール・ビューティーの王様ともいえるラヴェル。
美しいメロディーだもの、たっぷり歌いたいわぁと思う心をぐっと抑えて、あえてメトロノームのようにテンポを保たないと、かえってごてごてとした悪趣味に陥る。ダサいともいう。
1曲をこんなにみっちり掘り下げたのは初めてですが、掘れば掘るほどに魅惑のラヴェルが私をとらえて離さない。よくセットで語られるドビュッシーの音楽は、割とストレートに甘いところは甘いのですが、ラヴェルはいつでもぶれずにツンデレなんだなーと最近思うようになりました。
甘いハーモニーをつけていても、メトロノーム的にツンツン演奏するのがはまるラヴェル・スタイル。
今回の曲で言うと、甘く歌いたい箇所でも、振り向きもせずハイヒールで颯爽と通り過ぎ、ラストにラヴェル本人の筆で「ここからテンポを落とせ」と指示が出てくるまでは厳格なまでにテンポは揺らさない。それでラストの気だるい余韻が生きるのよねー。

あと、テンポを揺らすと簡単に劇的になるのでついつい安直にやってしまいがちですが、テンポそのままで音量の上げ下げでドラマチックさを演出する方がベタさ・ダサさが抑えられることがわかってきました。
他の人はどうかわかりませんが、私の場合はテンポを揺らして「ほらここ歌ってますよ~」と表現する方がラクで、かなり意識しないと劇的なまでに強弱を使い分けることはできませんでした。
メトロノームを本当に鳴らしながら、強弱だけでデレを表現する練習をレッスンでしてみたところ、私にはフォルテの総量が少なすぎることが発覚!楽譜にmfと書いてあったらあまり強くしちゃいけないな、ととらわれすぎる傾向にあったわけです。
強弱なんて相対的なものなんだから、曲想によってはmfの指示があってもfとかffを出しても良いし、その前の部分の強さで調節すればいいんだ…目からうろこがバッサバサ。
例えば、サビの部分がpから始まって最高潮に盛り上がったところにfと書いてあったとする。その場合のpからfまでの幅が狭いと指摘されました。もっと幅広く!
だから、fは私が想定しているより強いものだったんですねえ…自分では強弱をつけているつもりでも、客観的にはあまり差が感じられないそうです。そう言われてそこに注目して聴きながら弾くと、確かにその通り。
たぶんほら、子供心にご近所に遠慮もあってこんなもんでいいかなというのでしみついてしまったのかもしれぬ…。

そういえば。上級者の練習を聴いて、その激しさに「あそこまで到達するのは無理っぽい」と思った10代の記憶がよみがえりました。
あの頃、指が速く動くとか、長距離の跳躍を外さない正確さとかよりも、強弱のダイナミックレンジに圧倒された率が高かったんですわ。指を速く動かすのは練習次第でなんとかなりそうというか、習い続けていれば誰でも自動的にあのくらいできるようになるんでしょう?と、たいして気にとめていなかったっけなあ。
当時から、指のテクニックではない表現力が自分にはないと感じていたのかもしれないなあ。

やたら音が大きく響くスタインウェイのピアノで本番を弾いて「おおう!」となりながらいろいろと勉強になったので、次に活かしたいところです。
強弱問題はピアノならではの課題の一つですな。
さて、チェンバロもがんばろう。

2017年5月12日 (金)

自信のない音

引き続き今日もピアノの話。
「自分の出すすべての音を美しく」を目標にしてからは、弾く前に一瞬ためらうことがよくあるような気がします。
これから出す音はちゃんと思い通りの音色で鳴ってくれるだろうか?と。
つまり自信がないんですね。

こうすればこういう音が出る、というのがまだ不安定なんです。
こればっかりは練習量が足りないとしか言いようがない。
たくさん種類のある音色のうち、いくつかはだいたい精度90%で出せるようになり、経験値が上がったな!と思うのですが、ほとんどは「今の違う!なしね!」という結果に…。
まぐれで奇跡の1回みたいなことがあると逆にびっくりしてしまいます…だめじゃん。

傾向としては、小さな音の方がまだマシだな。そーっと慈しむような音色は、そーっと練習しているうちにつかめてきたから。
コワイのは大きな音です。昔の雑な私を思い出して、乱暴に叩き出すような音になってしまうのではないかとつい気持ちがちぢこまってしまう。
「堂々と」とか「どっしりと」とかいうキャラクターの音を出す練習が今後の大きな課題です。
輝かしいフォルテなんてどうやったらいいんだ…。

そういえば、ここで習い始めてから1年3ヶ月くらいが過ぎた頃に、先生が何気なくおっしゃったことが、これらの問題点を如実に語っているなあと思ったものでした。
それは、「レッスンの最初のほうは音色が硬くて、レッスンが進むにつれてほぐれてよい音色になってくる」ということです。
毎週毎週、レッスンのたびにそのルーティンを繰り返しているそうです。
自分ではまっっったく気づいていませんでした。
自宅のではないピアノに向かうと、無意識のうちに「慣れているタッチと違うから、ダメな音が出てしまうかもしれない」と不安になって緊張した弾き方になっているのだろうと思います。それもこれも「自信がない!」に尽きますな…。
で、弾いているうちに、そうだったこの楽器はこうだよねと自信を持って弾けるようになっていく、と。
自分の楽器を持ち歩けない鍵盤弾きはこの宿命と折り合いをつける練習(?)もしないと…。
そういえばグランドピアノなんて発表会でしか弾かないなあ。あのカタチだけで何割か緊張が増すわ。

2017年5月10日 (水)

なんとなく雑なわけ

ピアノ発表会で弾くうちの1曲は30数年前に「一応」弾いて遊んでいた曲です。
その当時、音は間違っていないのだがどうも美しく聞こえなくてモヤモヤしていました。
習うのをやめて数年たっていて指導を仰ぐこともできませんでしたし、よくわからないが要するに下手ってことなのね、としか言いようがなくそこで止まっていました。

そして今。音楽づくりはまず美しい音づくりから、という指導方針の先生について1年ちょい経ち、今こそこの曲の美しさを表現するときが来た!とばかりに引っ張り出してきたのですが、まず最初の一音がびっくりするくらい綺麗に響かせられるようになりました。
この先どうなるの?どんな音楽が続いていくの?とときめく音です。自分で言うか。
この調子ですべての音を…と思ったが、まあそううまくいくものでもなく。
速い曲ではないのになぜか落ち着かない感じになってしまう。
もっと、ゆったり・優雅・余裕、みたいな空気が欲しいのに。
テンポを極端にゆっくり弾いてみてもそんな印象が漂わないのはなぜなんだ。弾いている人が優雅とは程遠いキャラだから、で片付けられる問題ではないぞ。

ここで先生の的確な指導が物をいうわけですよね。
原因のうち一番大きなのは、次の音の準備をするのが早すぎることだと判明しました。
自分ではそんなことをしている自覚はなかったのですが、言われてみるとやっとるわ…。
複雑な和音が大好物なのでそういうのが多く出てくる曲を好むのが私の傾向ですが、複雑ゆえに寝ていても手が動くというわけにはいかず、和音から和音に移動する際には「次はどこ?ここだ!」と探して準備してしまうんですよ。
実際にはそんなに準備しなくても物理的にはいけるんですけど、何事も早め早めの準備が心の余裕を生むと思ってしまっていたらしい。
で、次の音の準備に意識が行ってしまっているので、たった今出している音には気持ちが残っていなくて、その音が放り出された感じ・おいてけぼりな感じになって「美しくない…」。なるほど。
加えて、聞いた感じが良くないだけでなく、見た目にもあせってつんのめりそうな感じがにじみ出ているそうです。「落ち着いて!」ってつい思ってしまうって。し、知らなかった…それはいかんな…。

無意識の癖なのですぐには直せませんが、癖だと自覚してからは意識が変わったので、発表会までには完璧ではないにしても何割かは改善していると思います。
うーん、雑に思えたのはタッチのせいかなと予想していたのですが、キープやリリースにも問題があったとは。

昔は、タッチの良し悪しというものがあることは理解できましたが、鍵盤が底についてからも鍵盤を離すときも、力の分散のさせ方で音色が違ってくるなんてかけらほども考えたことがありませんでした。
今になってそういったことを教わり、いろいろ試してみると本当に違うので驚きつつ奥深さに感動している日々です。

そうやってほんの少しずつ曲が綺麗になっていって、練習のし甲斐があるというものですが、そうなるとつくづくというか改めてというか、この曲の美しさ洒脱さに震え、以前にも増して愛が深まりました。
弾きながら、今のここの和音がたまらんのよ!とか、ここからここにかけての転調のすごさはどうよ!とか、強く思うのですが、聴いている人が同感ですと思ってくれるように演奏したいと思うようになってしまいましたよ。私がプロの演奏を聴いてその曲のその箇所にぐっときていたように。ままま、それは高望みですが、気持ちだけでも。

それと、先生がよくおっしゃるのは、「今のその音、とてもよく出ていてもっと聴きた~い!と思ったのに、次の音でがっくし…ってなっちゃう」。
そうなってしまっていたことに気づいていないので無頓着だったわけですが、原因はたぶんこれ→。とてもよい音色が出せた瞬間「よし!うまくいった!」と思ってその音はもう自分の中では終了してしまっていたのだ。本当は物理的にも情緒的にもまだ終わっていなくて、次の音に素敵な空気を手渡そうとしているのに。
余韻を自分でもよく聴いて味わって、それに合った音色で次の音を弾かなくちゃ。

自分の演奏の欠点はざっくりと「いろいろと雑」なことだと認識していたものの、何がどう雑なのかは考えてもわからなかったのが、指導を受けるとサクサク解決していきますねえ。
それにしても、「次の音を余裕を持って準備しよう」だなんて、雑とは正反対の考え方でしょう。なのにそのせいで結果的にその直前の音のリリースが雑になるという悪影響が生じていたとはね。
細かい問題点が多すぎて目から何枚ウロコが落ちればいいのか見当もつきませんけど、一つ一つていねいにつぶしていきますよー!
うんと易しい曲ではさすがにこの手の問題点は顔を出さないので、スパンを置いて課題をあぶり出すためにもちょうど合うレベルの曲(大好きな曲なら尚良し)を弾いてみると効果が上がるのですね。

2017年2月 1日 (水)

スタッカートの真実

目からウロコどころではない。
もう驚天動地とまで言ってしまってもいいくらいの衝撃!

あたしゃ、スタッカートを根本から思い違いしていたとです…
弾き方も当然間違った方向にいってしまっていたとです…
これまで納得のいかない演奏にしかならなかった原因がまた一つわかっちゃったのねー。
それも特大のやつ。
ここで習い始めて一番の衝撃かつ感動です。

スタッカートの意味って「はねるように切って弾く」という理解だったので、そこからして違うというところでまず特大の衝撃だったわけですよ。
そのように説明をしている先生・本は多いし、聞いた感じではそれで合ってるっぽいしねぇ。子供には「半分の音価で」では難しいから「はねるように弾いてね」と教えるやん普通。
そうか、正しくない弾き方だったからスタッカート記号がついていてf(フォルテ)のところを弾くと手が疲れる上にイマイチ音が汚くなってしまっていたのか。
定義を正しく理解し、それに沿った物理的かつ運動力学的に合理的な奏法に直したら一発で演奏が様変わりしたもんね。あの曲この曲、全部このやり方で弾き直したいっ!
音色も音楽らしさも格段に良くなったついでに見た目もプロっぽい動きに。

運動面でスタッカートの奏法を種類分けすると、「指先だけで処理」「手首で処理」「ひじから先の腕の重さも使って処理」の3つがあるということも目から特大のうろこがポロリでした。
特に、たくさんの和音を大音量で弾く場合の筋肉の使い方&重力を上手に利用するというのが、これまでやったことも考えたこともないことだったので、何十年も知らないでいたなんてなんだかなぁ。でも知らないままじゃなくてよかった。

…しかしこういうことは電子ピアノでは反応を引き出せないのであった。

2017年1月26日 (木)

1月のピアノ

ピアノでいろいろな表情の美しい音色を出すための基礎テクニック本を使ってレッスンを始めて2年目に突入。
最初の頃は手の形の改造に四苦八苦し、効果はすぐに出なかったけれど、「考え方が根本から覆る」「体の使い方が内側からまったく違う」ということが理解できていたので、いやになることはまったくありませんでした。この先に何が待っているのだろう~♪という期待のみです。
秋頃には土台がなんとなくできてきた感じで、その上に積む石がうまくのっかっていく手応え。建物なら1階の床ができてきたかなー。素敵な建物にしたいね。

テクニック本は、楽譜を読んで弾けるようにするための本とは別です。後者については、普通は曲集を使って音符に慣れる練習を並行します。
昔もテクニック本はありましたが、指導法も進歩しているな~…に尽きます。

今使っているテク本は幼児向けに書かれており(内容は素人なら全世代にあてはまる)薄い作りで上・中・下の三分冊です。中級や上級の曲を弾くようになっても、ときどきこれを見返して奏法の確認をすることもあるそうで、普遍的な内容なんですね。
今は中巻の半分を過ぎたところで、ここら辺からは、結構難しい曲にもそのまま応用できるくらいの技術が登場してきて、急に本格的になってきたなと思いました。
練習に使う音符は少なくて幼児でもできるんですけど、ベトソナのあの部分はこうすればうまくいくな!等と具体的に思い浮かぶことが多いです。
こうなると、とっとと下巻までやりきって、曲に活かす方がいいんじゃないかい?と思うのも当然の流れさ。
で、他の本はおいといてこの本を集中的にレッスンしています。このペースなら今年中に終わるでしょう。
今月はわかりやすい手ごたえの多い月でした。

1◆アーティキュレーション(スタッカート、レガート、アクセント、テヌートなどなど)をつける
これは初めてピアノを習う人にとっては、これまで習ってきたこと同様に未知のことですから、自在に使い分けられるようになるまで大変です。
でも経験者だから大丈夫。ただ、使う筋肉が以前と違うってところがポイント。
手の形も以前と全然違うのですが、もう慣れてきたのであまり意識せずともほぼできるようになりました。
そして、出てくる音色がちゃんと違うの。嬉しいね。

2◆手首を回す
手首を固定するよう言われた世代で、かつ古典派まででやめてしまったので、私にとっては「初めてやること」です。年配者でもショパンやリストをバリバリ弾ける人なら手首は柔軟なんですけども。
中上級曲を弾こうとすると手首のせいでいろいろ詰んでいる実感はずっとあったので、この技術の習得は切実であります。
で、手首をぐにゃぐにゃさせる準備段階の練習をおそるおそる始めたわけですが、そんなに下げちゃっていいのかと驚くほどにグッとしならせるんですね…1回1回くどいほどに「えーこんなに?いいの?」と不安になるくらいです。
手首を見ながらやっていると、あまりにぎくしゃくしているのでおかしくて笑ってしまうわ。
割とすぐに、左手はほとんど意識しなくても自然な動きできるようになっていると認定されましたが、右手はまだ変な動きです(笑)。1ヶ月くらいで直るかな。
親指がどうしても寝てしまう案件もいつの間にか改善されつつあるし、長い目で見るとちゃんと進歩していることがわかるので、これもきっと近いうちにできていると思う(期待)。

2016年10月31日 (月)

10月のピアノ

今月も、いろいろなことが「わかった!」「できた!」と達成感を味わえた1ヶ月でした。
今は連鎖的にパカパカとふたが開いていく時期なのでしょう。
今年前半は、未知のことが始まったので今やっていることがどう結果につながるのかわからずにやっていて、やったことのない筋肉の使い方や手の形を練習していた手探り期。
その成果がじわじわ現れ始めているわけです。
あの練習はこういうことだったのか!と納得&感動です。
ひとしきり進歩があった後はまた基礎の蓄積で地味な時期がくるのかな。その先にどういうことが待っているのか楽しみなので、地味練習の日々もまたよきかなと思えます。

大人でこのようなレッスンばかりだと、いつになったら曲らしい曲、華やかな曲に進むのだろうと思ってしまう人も少なくないそうですが、気持ちはわかる。
私は再開組だから昔そういう曲は弾いたしな。
今だって家ではときどきラヴェルやらドビュッシーやら弾いてやっぱり綺麗だよなあと楽しめるし(そしてまだこんな曲を満足に弾けるほど新しい技術が指に定着していないので出来がひどい…と再確認してしまうのだが)、チェンバロもあるのでフラストレーションは溜まらずに済んでいます。

バルトークのやりくち(笑)にもだんだん慣れてきて、新しい曲の楽譜を見るときにどこを深読みすればいいのか自分で判断できるようになってきました。
その上で、どんな音色で演奏するか考えて弾いてみる。
思ったようなイメージで演奏できたら嬉しいですし、先生にそのイメージがちゃんと伝わって聞こえていたら何とも言えない喜びを覚えました。
ある曲などは、以前の私なら「これが曲と言えるの?短い音階が並んでいるだけじゃないか」以外になにも思いつかないようなものなのですが、30秒ほどのとっても短いその曲をよくよく読み込んでみると、夕焼けの中、広い畑で仕事を終え疲れた人が晩鐘を聴きながらお祈りをしているイメージが浮かんできました。
それに沿ってプランを立てて演奏したところ、先生が「ミレーの《晩鐘》が見えたんですけど…」とおっしゃって、あまりにズバリだったので驚きを通り越してぽかーんとなってしまったんです。
標題音楽ではありませんから、そこまで伝わるとは思っていなかったのですけど(ロマン派とかの子供曲だと「夕べの祈り」なんて標題で、曲自体に情景が表現されているので誰が弾いてもそれらしくなりますが、バルトークのこれは色がついていない曲なのでどうにでもなるんですよ)。
ある箇所をコラール風に響かせたのが効いたかもしれないなあ。

こんなことをずっとやっていると、大人ならではのピアノの楽しみだなあとも感慨深く思います。
ちびっこに比べて圧倒的な経験値の高さが、曲の理解と演奏に反映されるのですから。
絵を見る、小説を読む、旅をする(その作曲家のいた国ならなお良し)、それにもちろんプロの演奏を聴く、そういった蓄積が演奏に現れるのなら、それが易しい曲であっても手応えのある創作活動と思えるのであります。

2016年9月30日 (金)

9月のピアノ

とっっても易しい曲でレッスンしていると、ヘタでも曲がある程度複雑ならそれっぽくなるのにまったくごまかしがきかないところが難しい!
この曲を音楽的に演奏するにはどうしたものか、よくよく考えて演奏してもはたして曲らしく聞こえているんだろうか、と迷いが多いのです。
レッスンでは先生が細かくチェックして自信をつけてくださるけれど、それで「そうか、これでいいのね…ホッ」とは思うものの、自分で判断できていないんですよね。
このような極端に易しい曲を曲として聴くことがなかったからわからないというのもあるかもしれません。先生は大勢の小さい生徒さんの弾く易しい曲を聴いてきて些細な違いも何通りもご存じのはず。それにプロの耳があるからはっきりわかっていらっしゃるのだろうな。
今のは良くできた!と自信を持って言えることもありますが、自信なしとありは半々くらいかなあ。

今月は、そんな自信のなさの呪縛から解放されたすがすがしい月でした。
昔ピアノを習っていた時期の自分の演奏について、当時は「結構指も回るし、プロが無理なのはわかっているがそこそこいけてるよね」と思っていたのですが、チェンバロを習い始めて音色やタッチに耳が敏感になってからは「あの頃の自分はちょっと指が回るだけだった。音の立ち上がりも切り方も何もかも雑だった。唯一そこそこだった機敏な指も今は動かなくなってしまったからいいとこなしじゃん」という自己評価に変わりました。
客観的に謙虚な気持ちでやり直せたのはいいことでしたが、いつまでたっても不安ばかりってのもねえ。
未だに一音ごとに「今のどうだった?悪くはなかった?でもイマイチかな?」などと思いながら弾くものだから、先生に「今、どうしようか迷っていたでしょう」とよく指摘されていたものです。

そこで今月は、細かく一つ一つの音について、事前にどんな音を出そうか決めてからやってみる練習を提案されました。
曲想から導き出したプランをいくつか実際に試してみてから最適と思うやり方で弾くと、どんなに音の少ない易しい曲でも「これだ!」と納得して自信を持って弾くことができました。
すると、曲に推進力が生まれるんですな!
速い曲とかある程度難しい曲だと、曲そのものの勢いで自動的に前に進んでいってくれるので気づきにくいんですが、弾く人自身が曲を進めていくことが音楽的な演奏には必要だってことがわかりました。
徐々にではなく、何かの拍子に突然「わかった!こういうことなのね!」とひらめいたというか降りてきたというか、電撃ですわ。

それから、発表会効果も一つありました。
曲の最初の音がいまひとつはっきりしない出方をしてしまう問題の解決の糸口が見つかったのです。想定している音色が出せるかどうかの自信のなさが主な原因だったと思いますが。
なんと、アンサンブルの相手が何人かいて最初の音を全員が出すものと仮定して、エア「せーの」をするとうまくいったんですよ~。
それをやった時は自分でも会心の出来だと感じましたし、実際に突然とてもいい第一音が出たようで、先生が驚いて「どうしたんですか?何をしたんですか?」って。
説明すると「それはいいことを思いつきましたね!」だそうでした。
自分一人へろっと出てしまったらアンサンブルの仲間にも迷惑がかかるから、自分の役割に責任を持つ心構えでいると、結果的に独奏曲であってもうまく出られるというからくりかなー。できないのは心理的なものだったのよね。
アンサンブルで出だしの合図を出すときの呼吸をそのままやるというのが、エア「せーの」なんですが、独奏でも最初の呼吸はとても大事だといろんなところで見聞きしていたのって結局こういうことなんだなとも思います。
管楽器と違ってどこで呼吸しても演奏に関係なさそうに思いますが、チェンバロの先生もガンバの先生も呼吸については重要視していましたし、このピアノの先生にもしばしば教えられてきました。
ようやく実感としてじわじわ浸透してきたようです。

ということで、今月は
◆プランを練って心を決めるための下準備ができていれば自信を持って音を出すことができる
◆最初の一音を出す呼吸はアンサンブルをしているつもりで!
という2大収穫があり豊作でした!