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古楽

2017年8月23日 (水)

インストでカバーする

先日、バロック以前のルネサンス期に流行した音楽技法についてのレクチャー・コンサートを聴いて以来、興奮さめやらず。
去年からチェンバロのレッスンでルネサンス期のイングランドの曲を習い始めてすっかりはまってしまったのですが、これはもうダメ押しですよ。

ルネサンス時代はチェンバロにとってはちょっと外れていて、中心にいたのはリュートでした。あの時代のリュートの譜面を読むにはかなり訓練が必要です。そこまでやろうという気概はありませんが、現代譜に書き直して理論だけ学ぶなら可能である。きりっ!
後のバロック時代でも、チェンバロ奏者は通奏低音の数字譜を見て即興でジャムセッションしていたのだから、大まかな点ではその延長上の勉強です。
とにかく変奏や装飾の法則やバリエーションをどんどん手の内に入れていくという作業になっていくでしょう。学生なら、毎日何時間も弾いて手に覚えさせられるのだけど、使える時間は少ないし記憶力は衰退の一途を辿っているし、でもまあできるだけやってみるさ。年がいってからの趣味と割り切れば、こんなことにはまれるだけでも幸せというものだ。

去年の発表会でやってみた「たった8小節のベースラインを、何通りにも変奏させる」というのがだいぶおもしろかったんですが、ルネサンス期にヨーロッパ全土で流行した変奏曲のやりかたが更におもしろそうで、まずはこれをやってみたいと思っています。
どこかの都市で庶民に流行した世俗歌(今でいう歌謡曲、ポップスですな)が、まあ伝言ゲームのようなものなので少しずつ変わっていくにせよ、ヨーロッパ各地に伝播して適当に自国語の歌詞もくっついて、全欧ヒット!みたいになったそうなんです。
オリジナルは「歌」ですが、各地の腕自慢の楽器奏者がこぞってカバーしまくった記録があるんですって。
プロ用から初心者用まで、アレンジ楽譜も出版されて残っているんだから現代とたいして変わらないじゃないですか。
そんな楽しい話を演奏とともに聞いていたら、自分でもやってみたくなるわけですよぅ。むずむず。うずうず。
でも知識も技術もあまりにも乏しい。そんな範囲でできそうなことを考えて、最初の一歩をひねり出しました。

まだ他の楽器とコラボするなんてとても無理なので、一人で演奏が完結するアレンジを考えるしかないな。
あの時代の感覚に合う旋律で、あまり長くなくて、変奏させやすいシンプルなもので、誰でも知っている歌ってあるかな…と考えてひらめいたのが英国国歌!
この歌の楽譜になっている最古のものでもバロック後期なのですが、なんとなく人の口に上り始めたのはルネサンス後期だとのことなので、間違ってはいないぞ。
第2の英国国歌と言われる「ルール・ブリタニア」も変奏させやすそうなので(やはり同じ頃に成立)、時折混ぜて遊んだらおもしろくなるだろう。
永遠に未完成かもしれないが、永遠にいじっていられる素材じゃないだろうか。妄想すれば妄想するほどおもしろい…んですが、実際に作り始めたら、装飾パターンを自分の中にほとんど持っていなくてしょぼいことこの上なし。予想以上に長期戦になるか。

2017年1月19日 (木)

パターンと慣れ

合宿で使った楽譜は一旦しまって、チェンバロは通常運転に戻りました。

合宿前にやっていたことは、ルネサンス期のイングランド音楽でした。
この時代は音符として書かれていないことがたくさんあるのですが、そういった「慣例」が体に入るにはたくさんの曲を弾いて弾いて、文字通り慣れるしかないんだなー…と理解したあたりで中断したのでした。

いろいろ忘れている気もするが、あらためて楽譜を見ながら書いてあるとおりにまず弾いてみた。
シンプルすぎるので、そのままだとあちこちで「ポカ~ン」としたマヌケな空間が生まれてしまうことを再確認。
とりあえず、この骨組みだけを手に覚えさせようと、何度も繰り返し弾いて練習しています。
ここに肉付けしていくわけですが、最初から肉付けを考えて書き込んだものを練習して覚えるのはその場しのぎにしかならないと感じたので。語学の勉強における、文法もわかっていないのに文章丸暗記するだけというのと同じようなもので、これでは応用がきかないし、その言語全体も見えてこないでしょう。
ルネサンス期特有の和声の動きや、この作曲家がよくやるクセなどを体得してから次の段階に移ります。

9月に曲を決めてちょこちょこ弾いてみていたのですが、あまり家で弾かなかったせいで今一つ「よくわからん曲だ」で停滞していました。
合宿効果で「練習するぞ!」がみなぎっている今は、毎日30分でもいいからひねりだして同じ箇所を繰り返し弾いています。
すると、動きに余裕が出てきたせいなのか、装飾を入れてみたり音を増やしてみたりが、自然と内側から出てくるようになってきました。
手持ちの装飾の在庫が乏しいのでワンパターンなのがさびしいところですが、まずは一歩前進!

それと、指の運動機能的な問題で、ちょっとやったことのないリズムだとすぐにはできないというのがあります。
譜面的には簡単なもので見ればわかるくらいなのに、指令が指に伝達するところで回線が断裂しているのです(昔はできました)。頭で理解する過程をとばして目から指に回線がショートカットしているはずなのだけど、ときどきつながらないことが…。
なんだよこんなのでつまずくなんて、と情けない気持ちも多少ありますが、めげないのだ。
片手ずつゆっくり何度も練習
→両手でやるとやっぱりできない
→両手で超ゆっくり何度も練習
→だんだん速くしていく
→あれ?できてる
→翌日やってみると両手では迷う(後退)
→同じ過程を繰り返すができるようになるまでの時間が短縮されている
→数日これを繰り返しているうちに、さらっとできるようになっていた
体を使うものごとの練習はすべてこれですよねー…。
もともとたいして難しいことではないので、なぜこれに限ってできなかったのかよくわからないのですが、「できた!」となるのはいくつになっても嬉しいものですな。

することはまだまだあります。
装飾パターンの乏しさをなんとかしなくては。
CDや動画サイトからプロの演奏する装飾を拾い出して装飾カタログを作り始めたのですが、1回聴いただけでは再現できません。今、何やった?もっかいやって!
これもまた「やったことのない動き」だからです。
小中学生の頃から既に知っている最低限の基本的な装飾なら一瞬でもどのパターンか聴き分けられるので、慣れで身につくものと信じてせっせと反復練習しまする。

2016年9月29日 (木)

この道を通る者は

ウィリアム・バードの曲集から1曲選んで、下調べと譜読みを始めました。
白っぽい楽譜にどのように慣習的に盛っていくのか、まずはお手本のある曲から始めないとやりようがないので、レオンハルトのCDに収録されている3曲が候補。
「バードは聴くのは好きだが弾くのはどうも…」とならないよう、手始めは朗らかで楽しい曲調のにしてみました。
パヴァーヌ&ガリアードは後にして(たくさんありますし)、まずは少し短めの曲からやってみます。

題名が「Qui Passe」というのですが、なんでフランス語なのさ。
これで検索すると同じ題名でいくつか別の曲がヒットするので、当時の流行り歌か決まり文句の冒頭かなと見当をつける。
「Chi Passa」となっている版もあって、こちらはイタリア語なので元ネタはイタリアから来ているのかしら。
どちらも直訳すると「誰が通る」ですが、日本語以外のサイトに広げて検索するとこれは省略された題名でフルでは「この道を通る者は…」ということがわかりました。
文頭のQui/Chiは英語のWhoなんですけど、この場合はもっと長い文章の一部で、関係代名詞のWhoなのね。

ここまでわかると、原曲は歌ものだったことが確定です。
なら歌詞全部知りたくなるのが人情でしょう。で、探した。
やはりイタリア原産の流行歌で作者もはっきりしていました。
が中世イタリア語なので、歌詞全文が見つかっても自動翻訳にかけたところで意味不明。
ちょっと一休みしよう…。

しかし、世の中にはモノズキな人がいるもので、ヴィクトリア朝ロンドンの劇場と町なかで大道芸人が歌ったり踊ったりした曲を再現すべく努力している音楽家たちがCDを出していましたっ!
中世英語の歌ばかりの中に、そのイタリア語の歌が入っているのですが、当時のロンドンでも大陸の歌をそのままとりいれることってあったんですねぇ。
ポチって聴いてみると、件の曲は、リュートとヴァイオリンで伴奏し、タンバリンなども鳴らしながらノリノリで歌っていました。
すごく踊りやすそう。当時なら、歌い手が美人だったりしたら野次も飛んで盛り上がったでしょうねえ。
だいぶテンポが速く、とても短いAメロBメロの繰り返しで歌詞が続けば何番までも続けられる、まさに流行り歌だなあ!という感じの曲です。

CDについていた歌詞の対訳はちょっと意味不明だが、自動翻訳に比べると文章らしさはあるので、これを元に解読してみたい。
人生、恋愛も含めてままならないことばかりだが、嘆いていないで割り切っていこうぜ、という感じが漂う歌詞ではあります。庶民のたくましさかな。

バードはこの歌の骨格だけを使って少しお上品にして、ふくらませ変化をつけています。
大道芸を見た素人のロンドン市民がすぐにマネして歌えるような原曲ですが、バードはプロらしく料理しているということですね。
原曲を知らなくてレオンハルトの演奏だけを聴いたイメージでは、「誰が通る…天使が通る」みたいな歌い出しかな~なんて想像したんですけど全然違ったわ。
バード版のところどころに入るポロロロロン♪という優雅なおかずは、歌では合いの手で「ファラリラ・レィ♪」と歌っている部分だったんだ!なるほどなあ。
イメージがどんどんできていくわ。古いものをやるには、史料・資料にあたればあたるだけ方針が見えてくるものですね。

そういえば、この時代=シェイクスピアですけど、シェイクスピア劇って本編終了後に必ずジーグを踊ったんですってね。
ジーグってとても速くて陽気でヒャッハー!って感じの踊りですが、喜劇だけでなく悲劇だろうが歴史劇だろうが構わず「劇終→おじぎ→ジーグ踊り狂う(客席も)」というのが劇場のお約束だったそうです。
そんなことも思い浮かべつつのイングランド・ルネサンス。はまる。

レッスンでは、まず楽譜の全体を見渡して和声の構造を見つけるとまとまりやすいですよと。
弾き始める前によく読んで、特にベースの動きの法則を見つける。古い音楽は法則がまだ単純で少ない時代なのですぐに見つかります。
横に流れていく音符をぼーっと見ていても演奏のプランが決められないけれど、骨格が単純な時代の音楽ゆえにそこをおさえると突然景色がよく見えるようになる不思議。
おいしいポイントの処理法を考えるのも大事ですが、まずは全体像を把握することって、わかってみたらすごく基本的なことなのに今まで気にとめていなかった…。

2016年9月28日 (水)

踏み踊り・跳ね踊り

バロック音楽には舞曲が多かった。
王族や貴族のおかかえ作曲家たちがそういった曲を作るのは当然の流れだと納得できます。
それ以外だと即興曲のような自由なものもありました(たいていは「幻想曲」といった題名だ)。
バロック後期には舞曲の題名がついていても、実際に踊るために作曲されたのではない曲が増えていきます。実用でなくても古い舞曲の様式にのっとった曲がやたらと多いんですよね。聴き慣れたタイプの音楽の方が受け入れられやすいからかな。

ではその少し前のルネサンス期に教会音楽以外に楽しまれていた音楽というと、王侯貴族の楽しみのための音楽(結局舞曲なのか)と庶民の暮らしから自然発生した歌のミックスかなと思います。
庶民の音楽には、労働しながら歌ったり、収穫や結婚を祝って歌い踊ったりした人々が目に浮かぶような楽しさがあります。
流行り歌も多く残っていて、やっぱりほとんどは恋歌。

今、イングランドのルネサンス期の鍵盤音楽をニワカに調べ始めているわけですが、後のバロック期につながる舞曲の原型が洗練されない形で現れているところに好ましさを感じます。お貴族っぽさが薄いのよ。
リズムがまだ素朴と言ったらいいのか、しずしずと踊るテンポの舞曲でも、ここはぴょん!と跳ぶのだろうなとしか思えないリズムが定期的に入っていて、なんともいえない田舎っぽさがかわいらしいのです。
舞曲を思わせる題名がついていなくても、どこかに「ぴょん!」があるもので、出てくると「ふふっ、かわいいな」と笑いながら弾いてしまうという…これを萌えと言ってしまってもいいのかもしれん…。
家にチェンバロがないので、この「ぴょん!」の感じ(を表現するアーティキュレーション)が練習できないのがつらい。鍵盤が電気的スイッチにすぎないキーボードは問題外だし、ピアノでの表現はまったく別物なので練習にならない(グレン・グールドがピアノでこのあたりの曲を演奏した録音が残っていて、これもまた素晴らしいのだが、ピアノでマネできたとしてもチェンバロにはまったく応用できない)。

ヴェルサイユ宮殿的なきらびやかなバロック後期にはもうほとんど衰退してしまった踊りに「パヴァーヌ」+「ガリアード」のセットがあります。
踊り(振付)自体は古臭くなってまったく踊られなくなったけれど、曲を聴く分にはまだ受け入れられていたのか、新しい「パヴァーヌ」が作られたりして形式だけは残っていくのですが。
「ガリアード」(イタリアでは「ガリアルダ」フランスでは「ガイヤルド」)は原始的な感じがするためか、振付だけでなく曲もバロック後期にはめっきり珍しいものになってしまいました。

さて、この2つでセットの踊りの音楽、なかなか私好みであります。
「パヴァーヌ」は4拍子でゆっくり、優雅で少しもの寂しい感じです。
これをやや長めに踊ったあと、ひと呼吸おいて急に始まる「ガリアード」は3拍子で速くて短くて、つむじ風のようにサッと通り過ぎるのです。
ゆっくり優雅な「パヴァーヌ」でさえ、滞空時間の長そうなふわっとした「ぴょん!」があるんですよ~!このかわいさをどうしたら表現できるのか。
踊りのタイプとしては、
パヴァーヌ → 踏み踊り
ガリアード → 跳ね踊り
だそうです。
なんとなくではあるが的確に言い当てている単語選びだなと思います。

バロック中期・後期でも楽譜に書かれていない装飾を補うことはよくありますが(書いてある装飾だって絶対やれということではない)、バロック初期はもっと楽譜が不完全で、さらにさかのぼってルネサンスにいくと楽譜はもうメモ書き程度かもね…という感じで実に簡単・簡略。
書かれていない「慣習」が山のようにあるので復元はかなり難しいわけで、現在プロがやっているあれこれはもしかしたら当時とはだいぶ違うのかもしれない。
何が正解かわかりませんが、時代は違っても人間のやることですから、そうかけはなれたものでもないだろうなとは思います。

2016年9月15日 (木)

バード BYRD

イングランドの古ーい鍵盤曲にすっかりはまってしまいました。
発表会でおまけとしてつけた小さな曲がやけに気に入って、そこら辺をもっとやりましょうよとなって先生が貸して下さった曲集を見ているところです。

書いてある通りに弾くとスカスカでマヌケになってしまいますが、装飾を付け足したり、フレーズを揺らがせたりするには、これくらいの音符の少なさがありがたいところです。
イタリアン・バロックの始祖フレスコバルディは、付け足したり緩急つけたりするには原型が難しすぎるので(でも好きなので続けていきますが)、1曲仕上げるのにかなりかかるんですよ。
ケルト風味ただようイングランド音楽と、かっこよい重たさのラテン系初期バロック音楽の2本柱が私の核となりそうです。
フランス宮廷風は絶対に私のじゃない!というのは早くからわかっていましたが、ここに着地するとは予想していなかったなあ。

古いイングランド音楽には数小節に1回、「ああ、これよこれ!」とグッとくるコード進行(?)があって、実に至福です。
民謡の特徴の一種なので、見方によっては洗練されていないとか田舎っぽいとかの要素にもなるんですが、好きな人にはこれがたまらんのよ。

この時代の音楽を動画サイトで探すと、ア・カペラのコーラスか、リュート伴奏の歌が多く、それじゃなかったら教会音楽になってしまうのね。
鍵盤楽器の演奏がとても少ない。
手持ちのCDを探すと、レオンハルトの箱モノに1枚入っていました。
さすがはレオ先生、440年前のクラヴィコードを復元した楽器で演奏していて、まるでリュートかギターをつま弾いているような音色です。チェンバロのキラキラした華やかな音色はこれらの曲には合わないよって言っていそうです。

チェンバロを始めた頃、元々イングランド好きなのでここら辺の曲をやってみようかなとまず思ったのですが、運悪く最初にまとめて聴いたのがジョン・ブル(という名前の作曲家です。冗談みたいな名だけど)の作品だったんですよ。
時代の雰囲気は好きだけれど、おもしろくない&繰り返しばかりでしつこいのがブル曲の特徴。
まあ仕方ない、古い俗謡ってこんなもんよね、とこの一人だけで全体の印象を決めつけ、ずっと遠ざけてしまっていました。
中世イングランドをもっと見渡せば素敵な曲がたくさんあったのに…ほとんど歌曲の中から鍵盤曲を探すのが大変だからって早々にこんなもんだってあきらめるなんて、ばかばかばか。

で、やっぱりこの時代の代表格ウィリアム・バードのお出ましです。
友人の母上が中世歌曲を歌うグループでバードの曲などを練習していらっしゃると伺い、やっぱりバードは通らなくちゃいかんな…と思い直して先生に「バードありますか」。
で、どん!と出てきた曲集を見ているというわけ。
バード以上に歌曲のイメージの強いダウランドや、発表会で弾いたファーナビーも、探せば鍵盤用の素敵曲がいっぱいひそんでいる気配。一生楽しめるわ。先人たちよありがとう。

2016年9月14日 (水)

通奏低音の夢

発表会で初めてやってみた通奏低音が予想以上に楽しかったのでもっと力を入れていきますよ!
通奏低音に意欲のある他の生徒さんたちと勉強会などやってみてもいいですねと計画が持ち上がってきつつあります。

たとえば、私はコレッリのヴァイオリン・ソナタに興味があるのですが、この曲はヴァイオリンがちょっとうまいくらいでは手に負えないのでプロにお手合わせ願うしかない状況です。モダン・ヴァイオリンの上級者でも、バロックの即興がたくさん入るのでできる人は少ないんですって。
で、何人かでやりたい曲(コレッリに限らず)の通奏低音を練習しておいて、勉強会で合わせていただくとかどうでしょうという話。

他にも、ヴィオラ・ダ・ガンバの生徒さんでもっと合奏をやりたがっている人に声をかけて定期的に練習会ができないかな、とか。
合同発表会が無理でも数人集まって内輪でやる分には都合がつくのじゃないかというわけで。その成果を発表するのは満を持して2年後でもいいわけで。

ヴァイオリン教室の方も先生がもっと合奏の機会を作ろうと年間計画を練り直しているところで、室内楽の勉強会が増えるような感触です。
これだと当面は弦楽カルテット中心なのでピアノ科の出番はなさそうですが、ピアノトリオ曲などが入ってきたらいいなあ。

2016年8月27日 (土)

発表会

ヴィオラ・ダ・ガンバ/チェロ/チェンバロの第2回発表会が終わりました。
昨年の発表会の演目もバラエティに富んでいたと思うのですが、今回はさらに上回って驚きです。
昨年大好評だったフルートさんやソプラノさんの再びのゲスト参加も嬉しかったですし、それなら我もとテノールのお友達を連れてきた方、楽器の練習の都合がつかなかったと得意の声楽で参加したコンビ(こんなに良い声だとは!これからも楽器と両方披露してほしいなあ)、そしてフラウト・トラヴェルソとリコーダーを持ち替えて大活躍の笛吹きさん。
2回目にして、たいした発展ではないですか。
曲説明も長めになり、時間が押して先生方の演奏時間が削られてしまったのが唯一の残念ポイントでした。
打ち上げで、これだけいろいろ出てきたら完璧だね~、いやまだあるでしょ、あと何の楽器があったらいいかな?という話になったので「ダンスがあったら言うことなしだと思うんですよねー」と言ったら、大いに盛り上がりました。顔の広い人が多いみたいだから、どこかからバロック・ダンス愛好家を連れてきても驚かないぞ。

昨年と同じ小さな会場を使ったのですが、今年は2階の練習室も借りて楽屋としたので、チェロケースや出演者の荷物を楽屋に置いて、客席に並べる椅子の数が増やせました。
2階のチェンバロで休憩時間にちょっと確認の練習ができたのも助かりました。
歌手の皆さんは着替えもしていましたっけ。
楽屋ってこんなに大事なものだったんだな。

今年はチェロの新弟子(小学5年生!)がセンセーションを巻き起こしていましたよ。
まだ分数楽器を使っている年齢ですがとっても上手。伸ばした音に深みがあるのですよ、もう。
大人の生徒さんたちが、やんなっちゃうなーとぼやきながらもメラメラとやる気を燃やしていました。
チェロで音大を考えているという高校生さんのバッハ無伴奏、この難しい動きに音楽を乗せているのがやはりさすが。
ヴィオラ・ダ・ガンバを演奏する生徒さんたちの曲は私には耳慣れないものがほとんどなのですが、新しい世界が広がるのが楽しみでした。
今回選曲された曲の多くはバロック時代の後半に作られたものなので比較的わかりやすくはあるけれど、ところどころに思いがけないハーモニーが現れたり、予想外の展開をすることがあったりして、ハッとさせられました。作曲家は、ニヤニヤしているだろうなあ。
チェロのような安定した音程と音量での響かせかたができない楽器であるため、じゃあどうする?というのがこの楽器を演奏する難しさでありおもしろさでもありそうです。そこにクセというか個性が出やすいのですね。

私の演目は、ルネサンス期の小さな舞曲と、バロックのあけぼの期の曲でした。
前者は音符的には易しいので、こちらで気を落ち着かせてからの方がいいなと先に演奏しましたが、それでも前半は手がふるえて細かいミスタッチが出てしまいました。
後半に持ち直したからまあいいや。
とにかく、最初の1音がこわくてたまりませんでしたね。
2曲目は、曲の全体像をつかむのがとても難しく、2日前まで「とても無理!腕が痛いのを言い訳にしてやめちゃおっかな」とすら思っていたのですよ。
が、前日のレッスンでいただいたアドバイスで何かふっきれたのと、できないなりのやり方を悟ったのとで、腹がすわりました。
夜にその考えに基づいて少しさらってみたら、いけそう!と思えたんですよ。泥縄も極まれりですが、あきらめなくてよかった!
うーん、何が難しかったのかというと、この曲って、鍵盤楽器がすごくうまい人が鼻歌を歌うようにテキトーに思いつくままにペラペラと弾きとばしたようなものなのです。
「Aメロ→Bメロ→サビ→Aメロに戻る」とか、クラシックの多くの曲のようにテーマがあってそのテーマを展開させてどうのこうのとか、音楽ってだいたいそういうふうにできているでしょう。なのに、これはAメロ→Bメロ→Cメロ→Dメロ(中略)Pメロ→Qメロ→Rメロ…。
とりとめなくダラダラと、以前に出てきたフレーズになんの関係も必然性もない展開がひたすら続いていくだけ。
リズムやテンポの緩急を極端につけることが唯一の攻略法です。こんなのやったことないっ!
本当は緩急の「急」の部分をもっとメリハリつけて速く弾きたかったのですが、一度つまずいたら急坂を転がり落ちて大事故になるので安全確実にやりました。
おかげで、絶対にミスしたくなかった箇所は全部クリアできましたし、一番自信がなくて一番きれいに弾きたかった終止部分は、練習で成功したどれよりも満足な出来になりました。
終わり良ければすべて良しとはいいますが、これほどそう思ったことはありません。
ま、途中途中では、音間違いではないがタッチが良くなかった部分がちょいちょいあったことを後から思い出すのですが、これからの課題に気づけたことでよしとしましょう。

ピアノの時代になってからはこの手のだらだら展開する音楽は姿を消しました。
チェンバロの特性にはものすごく合っているので、プロの演奏を聴くと本当にかっこよくしびれるのですが…でもこれを弾きこなせるようになりたいです。
今回はイタリア曲でしたが、スペインの古いチェンバロ曲にも同様のかっこよさがあるので、ここら辺の時代の曲を開拓していきたいな。
あと、1曲目のようなもっと古くて素朴な曲も、アイリッシュな響きがたまらんので、他にもやってみよう。

通奏低音の方は、まあ手始めとしてはよかったのではないかしら。だめかしら。
何年か後に「あちゃー…やらかしちゃってたなー」と思うかもしれないが、今は何か間違ったことをしていたかどうか自分ではわかりません。
作っている間はとっても楽しかったし、自分の演奏技術で背伸びすることは盛り込まなかったから本番もたいした失敗はしなかったし(出だしのテンポがつかめなくて3小節目まで見失ったのが最大の失敗)、一人の練習では楽勝でも合わせではちょいちょいひっかかっていた箇所が不安だったけれどなぜかノーミスでできたし。
自分的には「俺はやったぜ!俺はやったぜ!」とハスキー犬のような気分です。「次のレースも俺はやるぜ!やってやるぜ!」ワンワンワン。

打ち上げと二次会では弦チームの皆さんといろんな話をして、こちらも昨年以上に盛り上がりました。
今回は出演しなかった新しいメンバーさんもいて、なにやらとても上手みたいなので楽しみです。
来年は、ガンバ先生が留学中で合同開催は無理なのではないかと言われていましたが、みんなどうにかしたいと思っているのでどうにかなるのかなあ…できるといいのですが。
とりあえず、チェンバロだけでの小さな勉強会的な発表会は来年企画されています。チェンバロ組は、私のような素人愛好家とピアノのプロとがいて、それぞれの選曲の発想の違いもまたおもしろいですね。

新しい分野の曲への取り組みに手ごたえを感じたことの他に、もう一つ小さなハードルを越えた感触があります。
それは、鍵盤楽器をする人には必ずついて回る問題なのですが、「どんな楽器であろうと、そこにあるものでなんとかしなくてはならない」ということです。
持ち運べるサイズの楽器なら、自分の物をどこにでも持って行って演奏できますが、ピアノやチェンバロはそうはいきません。
特にチェンバロは個体差が非常に大きく、ちょっと弾いてみただけでこれはとてもヤバイと思う楽器にもたまに出くわします。そこまでではなくても、弾きにくいとか、これまでに遭遇したことのない不思議なタッチだったりとか、いろいろありまして、慣れるまで練習できればいいけれど10分くらいで本番ということもあるのです。
去年の発表会の時点では、私は音楽教室にあるメンテ不足の楽器だけしか触ったことがなくて、しかも1段鍵盤なので、いきなりの2段鍵盤かつしっかり整えられた楽器を前にして目の前が真っ白になってしまいました。
あれから1年、教室を離れて先生宅のちゃんとした2段チェンバロがデフォルトとなり、その他にもやはりちゃんとした楽器でタイプの違うものをときどき使わせてもらうことで、「はじめましての楽器」への免疫が少しずつできてきました。タッチもですが、座ったときの目の前の景色も多様なのがチェンバロです(ピアノは少なくとも見た目は同じなのでまだラクです)。機会を自分から求めていってさまざまなチェンバロを弾いてみることは大事だなと思います。

2016年7月28日 (木)

管楽器の古楽器

部活に明け暮れた高校時代(+卒業後の1年間)にトロンボーンに親しんだため、管楽器への興味は低め安定で持続しています。
中でも木管楽器よりは金管楽器の方が、機構も最低限はわかっているのでなじみ深いのは当然です。

さてさて、もちろんのこと管楽器にも古楽器があります。
交響曲の父・ハイドンはもちろん、その後のモーツァルト&ベートーヴェンもばりばり古楽器の人でしたし、シューベルトも実は古楽器世代なのでした。
ロマン派後期くらいから、現代の楽器に近い機能性重視の楽器が登場します。

ベトモツの交響曲はがんばって古楽器で演奏しなくても、これまでのおなじみの編成でも十分素晴らしいので今後もこの形で演奏されていくと思いますが、古楽器バージョンもいいのですよ~。
ただ聴いているだけでも趣があるのはもちろん、理論的にもたくさんの「腑に落ちる」があるので知れば知るほどおもしろいんですよ~。

現代の金管楽器は「どんな調でも吹き易さが均等。出しづらい特定の音がない」のが長所でもあり残念なところでもあります。
木管楽器の場合は、現代の物でも多少は調による吹きにくさがあるので、調違いの楽器を曲によって持ち替えるそうですが、古楽器の大変さはそんなものではないという。
古楽器では、木管も金管も、吹き易い調、指使いが煩雑な調、よく響く調、音色がモゴモゴとこもってしまう調、等々面倒なことがたくさんあるのですけど、「だがそれがいい」。
物理的なハンディをどうにかするのではなく自然なものとして受け入れて、それに応じた曲が作られていました。この場合の「物理的」は物理の授業に出てきた「波動」のことね。

よく、「○長調は明るく無邪気、○長調は荘厳、○短調は…」と、調性によるキャラクターが言われますが、なんとなくはわかるけれど、そんなにはっきり違いが感じられるでしょうか。
でも、古楽器なら耳が鈍感でもわかるんです!
「これこれの表現をしたいので○長調で書く」という意味が、古楽を知ってから納得いくようになりました。
楽器ごとに調性への機能のしかたが異なるので、一つ一つ調べていけばもっとよく納得できるだろうな。

モーツァルトは管弦楽曲ではニ長調を好き好んで書いているようだけれど、トランペットや彼の大好きな楽器であるクラリネットにとって、ニ長調は最も明るく輝く音色が出る調なのですと!
上品で明るい曲だから、それが最も効果的に演出できる調を選んで書いたんだね。
でも現代のオーケストラで使っているトランペットやクラリネットなら、別の調でも音色は同じです。ここら辺が現代楽器の物足りない点です。ニ長調じゃなくたって、今のトランペットって華やかな音色でしょう。

ホルンの古楽器も、狩りの角笛の雰囲気の「森の調」、森と違って開けた感じの「田園の調」などそれぞれの調によってキャラクターが違っていました。
ベートーヴェンの「田園」交響曲は、ホルンにとっての「田園の調」で書かれており、古楽器で演奏すると本当に牛や羊が放牧された風景が見えてきます。
現代楽器での演奏だとその旋律に頼って田園っぽさを感じることになりますが、古楽器なら調性の持つキャラクターによってより増幅されます。

ただ、いかんせん、金管楽器の古楽器は演奏がとても難しい。
調性による趣を捨てて機能性に走るのは仕方のない流れだったと思います。
そして機能性がグンと上がれば、超絶技巧の旋律が演奏できるようになる。

楽器が進化したおかげで作曲家がより難しい曲を書く。

そんな曲は古楽器では演奏できない。

技巧の面だけでなく、ハーモニーも時代を追うごとに複雑さを増していったので、音程が安定しない古楽器でドビュッシーやラヴェルの音楽なんてとてもじゃないけど無理です。

これ↑など超一流の演奏なのですが、ホルンやトランペットの音程は微妙ですよね。ちょいちょいはずしていますよね。
これ以上は物理的に不可能なんです。
でも鑑賞するところはそこじゃない。

それともう一つ、編成について。
小中学生の頃は気づきもしなかったことですが、トロンボーンに特別な感情を抱く(笑)ようになってからは、ベトモツの交響曲にトロンボーンがいないことに気付いてたいへん驚きました。
正確には、ベートーヴェンの交響曲のいくつかには出てくるのだけど、あの時代には世俗曲にトロンボーンを使うのは畏れ多いことだったんだそうです。
「天国の音」「神に捧げる音」だから宗教音楽にしかトロンボーンは使わない慣例だったのを、ベートーヴェンは「運命」で破ったんですって!すごいな。尊敬しちゃうな。
オーケストラの規模もその頃からだんだん大きくなっていたこともあり、音量が大きくて中音域を華やかに彩れるトロンボーンは当たり前のように使われるようになったんだね。
そんなトロンボーンは古楽器の頃から外観も構造もさほど変わっていないのだった。あっけらかんと単純な楽器なのよね。神の楽器だから最初から完全形だったのかな?

意味合いは違いますが、ベートーヴェンの「第9」にはチューバが使われていません。
で、年末には楽団は大忙しだけれど自分は家でゆっくりできると笑っていたチューバ奏者がいました。チューバ・ジョーク、レアだな~。

2016年7月 6日 (水)

フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック

イングランド話、続きます。

土臭い田舎っぽい素朴だ…言い換えれば貴族や宮廷と正反対の、庶民の暮らしが透けて見えるところに魅力を感じています。
となるとチェンバロのイメージとは合わないのですが、だからこそヴァージナルがしぶとく生き残った土地でこういう音楽がたくさん作られたことも納得いくってもんです。

この時代の鍵盤曲を約300曲記録した楽譜が残っていて、所有者だった貴族の名を冠して「フィッツウィリアム・ヴァージナル・ブック」と呼びならわされています。
昔は、「エリザベス(一世)のヴァージナル・ブック」とも呼ばれていたそうですが、エリザベス朝に書かれた曲ではあるが彼女はこの曲集を所有していた事実がないため、今では「フィッツ~」の呼称で統一されているんだって。

フィッツウィリアムって、あのフィッツウィリアムかしら。
ケンブリッジにあるフィッツウィリアム博物館に30数年前に行ったことがあり、えらく奇妙な品ぞろえで強く印象に残っているんですけど。
もう一度行きたいとずっと思っていて、夢に見たこともあって、後に英国に何度か行ったときに寄ったような気もするしまだ再訪していないのかもしれないし(最初の記憶の鮮明さに比べてどうも曖昧だ。再訪かなったように記憶を捏造し始めているのかもしれない)。そんな気になる存在のフィッツウィリアムが私の人生にまた関わってくるのか?
便利な世の中に感謝しつつ、一発検索、さくっと解決。
そのケンブリッジ大学附属の博物館に収蔵品を寄附したフィッツウィリアム子爵と、ヴァージナル・ブックを所有していたフィッツウィリアム子爵は同一人物でした。
おおう、こんなところで過去と現在がリンクしたわ。
楽譜はレギュラー展示されていないけれど、他にもいくつか貴重な楽譜が収蔵されているそうです。
チェンバロの先生に、フィッツウィリアム博物館に行ったことありますよーと話したら、とても盛り上がりました。

今年の発表会用の小さなかわいい曲もこの本から探したのですが、たまたま適当に決めた割には発見の多い曲でした。
冒頭の2小節で「あれ、これ知ってるわ」と思ったのに、3小節目からは知らない展開(全部で1ページしかないが)。
「これ知ってるわ」だけどなんの曲だかずーっと特定できなくて、2週間後のレッスンで先生にお尋ねしてしまった。
たぶんレスピーギだと思います、というお答えで、なるほどと思いました。

『ローマの松』で有名な(義務教育の音楽の時間に聞かされる)レスピーギ、実は古い音楽が大好きで、リュートなど古楽器の曲を弦楽合奏やピアノソロに編曲した作品がたくさんあるのです。
でも…旋律は確かに古風なんですけど、ロマン派っぽいアレンジなので、なんとなくBGM的な感じがしてしまうんだなあ。とはいえひたすら美しいですし、そのあたりを狙って作ったのかもしれませんが。
BGM的だから、喫茶店に有線で流してもいいし、旅番組などに使ってもいいし、ってんで知らぬうちに耳になじんでいたんだろうな。

レスピーギがアレンジしたのはこれ↓耳に残っていたのはたぶんこれ。

動画がついていません。ずーっと真っ黒です。絵をつけるの面倒だったのかな。
演奏はカラヤン指揮ベルリン・フィル。

私が弾こうとしているのはこれ↓

このヴァージナル・ブックに入っている曲は、流行歌や民謡をアレンジしたものが多く、そこにおもしろい題名をつけたりして、なんだかこの人たち楽しそうですよ。
都会や宮廷で流行している舞曲にならって作った曲も多いですが、やはり舞曲って鉄板なのね。誰でも踊って楽しくなれるもんね。
庶民に降りてくると踊りのスタイルも俗っぽくなったりしていたのだろうな。
当時の服装は本でも映画でも見ることが多いので、こんなふうに想像をふくらませやすいですね。
動画サイトを探したら、当時の踊りを再現している人たちが世界中にたくさんいました。撮影が素人っぽいものがほとんどで、この趣味の裾野の広さに驚きますね~。
コスプレもとっても楽しそう!
一例↓これは撮影がマシな方です。

チェンバロのと良く似た曲で踊っているのを探したんですよ。
出だしはおんなじでしょ。
題名が、ダンスのは「新しいスパニョレッタ」で、チェンバロのは「古風なスパニョレッタ」。
スパニョレッタというのは、スペイン風舞曲くらいの意味です。いろんな曲にこの手の題名がついていて、題名だけで区別するのは難しい。

リュート奏者つのだたかしさんが演奏したものがCMに使われたのでそれも耳に残っていたのかも。たかしさんは、漫画家のじろうさん、メリージェーンのひろさんとはご兄弟です。リュート、いいなあ。
リュートの時代の古い楽譜ではなく、あえてレスピーギのアレンジ版メロディを使っているのが逆輸入っぽいですね。でもちゃんと舞曲のアプローチなのがさすが。
これは↓音が小さいのでボリュームを上げて下さい。

ギターにも合いますな。ギター教本によく載っているらしい。

ルネサンス時代は、その旋律の本当の作曲者が結局誰なのかはっきりしない。
似た旋律はあちこちにあり、人気曲が少しずつ形を変えて拡散していったようです。

SF作家P.K.ディックの名作「流れよ我が涙、と警官は言った」のタイトルに採られている「流れよ我が涙」もこのフィッツウィリアム・ヴァージナル・ブックに入っています。
ダウランドという、ルネサンス音楽の代表的な作曲家による曲で、絶望のどん底のような歌詞。

ところで、レスピーギって結構最近の人だったのね!
明治12年生まれで昭和11年没。
江戸末期くらいの人かと思っていたので驚きました。

2016年7月 4日 (月)

オールド・イングランド

6月20日付の当記事で、イングランドの古い音楽について軽く書きました。
下書きではもっと長く書いていたのですが、投稿せずにちょっと置いておいたら英国のEU離脱を問う国民投票が始まるというニュースがにぎわってきたので、一旦ひっこめたのです。
僅差とはいえ離脱派が勝つなんて、ちと驚きだわ。
長い事、一番親しみを感じていた外国だったので、第二の母国くらいの感覚でいるのですが(でも英語はできぬ)、こういうことがあると自分は関係ない国の人なんだなとちょっと寂しくなるのだった。
離脱しないに決まってんじゃん!となんとなく思っていたくせに矛盾しているのですが、ECの時代から「英国がECに加盟しているなんて不思議な話よね」とも思っていました。

くどいほど繰り返しますが、大陸(フランスやイタリアやドイツ)の文化がバロックに進化し、新しい建築、音楽、美術が花開き始めている同じ頃に、グレート・ブリテン島ではまだルネサンスやってたのよねー。
大陸では「より操作性が高く、より華麗な音色が出る」チェンバロが爆発的に広まって、それ用の曲がどんどん作られているのに、島では「ぼそぼそとした素朴な音色」のヴァージナルがいつまでも使われていて、島民はそれで満足しておったわけです。
鍵盤楽器に限らず、ヴィオラ・ダ・ガンバも大陸では早々に過去の遺物となり、バロック・チェロに取って代わられたそうです。チェロの方が速弾きとかできるし(操作性高し)、音色も遠くまでよく通るし、そういうのが新発売されたらみんな飛びつく気持ちはまあわかる。アナログレコード→CDの時がそんな感じだったもんね。でもグレートブリテン島ではガンバが長く重用されていて、楽器もそうだけど音楽の様式なども大陸からだいぶ遅れて発達していったのでした。
ドラマでの伊達政宗のセリフ「もう少し早く生まれていれば…」が切実であるように、20年の遅れも当事者にとっては大きかったのではないかと思います。
ましてや、この場合軽く50年はずれていたのだから、大陸から見たイングランドの田舎ぶりはかーなーりのものだったことが想像に難くありません。
しかし現代から見ると、遅れていようが田舎くさかろうが、それぞれの良さを味わうことができるのでこれも良いということになります。

私の人生の長い間、古楽を古楽として特別に認識していなくて、うっすらとバロックの前にルネサンスがあって、その前にグレゴリオ聖歌があって、それより前は暗黒(もしくは史料なし)くらいの知識でした。
それぞれの代表曲を2~3曲、聴けばどの時代かわかる程度にうっすら知っているだけでした。
それで、今回の発表会で「この時代の曲をやろう」→「その年代に活動していた作曲家をリストアップ」→「あれれ、イングランド組は全員ルネサンス音楽の作曲家じゃん。同世代のドイツ人やオランダ人やイタリア人は初期バロック音楽の代表格なのに」
ここに来て、そういえば『ヨーロッパ』はひとくくりで一つではないんだったと改めて思い出しました。

思えばいろいろあるよなあ。車は左側通行だし、通貨はユーロじゃなくポンドだし、イングリッシュ・ブレックファストはコンチネンタル・ブレックファストとは一線を画しているし。
そういえば、英国人って自分たちのことをヨーロッパ人って思ってないよな~と思い当たることがありましたよ。
25年前のこと英国を旅していた折、地元の若者らとパブでちょっと話をしたのですが、「この週末はコイツと旅行するんだ」「どこに行くの?」「ヨーロッパ」「えっ、ここヨーロッパでしょう」「違う違う。フランスとかドイツとかがヨーロッパ。そんで僕らが週末に行くのはオランダね」というやりとりで目からウロコが落ち、以後このことが気になるようになってしまいました。この「僕ら」の中にはスコットランド人もいましたが、その人も「この島はヨーロッパの範疇とは思っていない派」でした。
個人差はあるでしょうが、英国人にとって感覚的には「ヨーロッパ=大陸」というのが多数なんだなと私は感じています。
先に例をあげたコンチネンタル・ブレックファストだって、直訳すると大陸式朝食だもんね。

話を音楽に戻しますと、イングランドの古楽は、特にチェンバロに関係のある範囲だとシェイクスピアのイメージと密接で、私は割と好きです。
素朴なのでどうしてもどれも似たような感じになってしまうのが残念なポイント。
もっと後の有名どころだとヘンデルになっちゃうのかもしれないが、あの人はドイツからの帰化人だし、宮廷楽師で派手だし、私のイメージする「古き良き(田舎っぽい)イングランド」とは違うな。
一番栄えている都ロンドンでさえ、時代遅れで野暮ったいというのがいいのだ。田舎万歳。

(離脱の是非はともかくとして「らしい」とは思うよ…マーストリヒト条約のときを思い出したよ。それでポンドなんだよな)